漁書日誌 3.0

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師走の五反田

五反田古書展、初日である。注文品は2点、「北園克衛全写真」と「NLTの顔」。北園は抽選ハズレ。後に用事を控えていて、約1時間くらいしかいられなかったが、今日は黒白(黒っぽいのも白いのも)ぐちゃぐちゃな感じでもっと漁れば面白いものもあったのではないかと思われた、このぐちゃぐちゃ加減が、神保町にはない五反田の魅力。ガレージで1冊新書を買って、あとは全て2階の会場で買ったもの。

橋本墨花「花と花言葉」(紅玉堂書店)大正13年11月1日7版凾欠1000円
小堀杏奴「静かな日々」(河出新書)昭和30年3月5日新装初版カバ200円
河西秀哉「『象徴天皇』の戦後史」(講談社選書メチエ)カバ500円
松本道介「小説の再生」(鳥影社)カバ帯200円
「都市」別冊400円
「花と花言葉」は宇崎スミカズ装幀挿絵。もっとボロボロのを前にも買ったことがある。それから「都市」別冊は沼正三マゾヒズム特集。やはりどうしても「都市」は「血と薔薇」と比べてしまって、ワタクシにとっては買い揃えようという魅力がいまいちであったが、1冊500円以下なら。
で、今回注文して当たった品。

「NLTの顔」第1集、昭和39年5月3000円
これである。藤野一友表紙画・カット。これは初めて見た。劇団のいわゆる宣材というやつだが、浪漫劇場のなんかは所持していた。今回、初期NLTのを見たのも初めてである。まだ「俳優集団グループN・L・T」という表記がある。また初期のスタッフ陣営なども当時をうかがわせ興味深い。文学座からの分裂後は、プロデュース公演などに劇団員が出演し、昭和40年になってようやく旗揚げ公演である「サド侯爵夫人」を上演という流れになる。
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「書を捨てよ町へ出よう」寺山修司作、藤田貴大台本演出@東京芸術劇場シアターイースト。
花組芝居の「毛皮のマリー」、藤田演出の「書を捨てよ町へ出よう」、「レミング」の再演と寺山生誕80年ということで寺山芝居連発している。11月はシンポジウムなんかもあったし、終わったら飴屋法水の「ブルーシート」と寺山のどれか行くぞとチケットを取っていたのであった。マームとジプシーは恥ずかしながら未見であったし、ここは「書捨て」で行くかと思ったのだが、微妙。
何しろやってくれたなあと思ったのは、学ランやセーラー服、白塗りや眼帯、和物オブジェやシーザーのロックなど、いかにもな寺山アイコンを一切舞台から排除していたことである。むろん、比較的初期の「書を捨てよ町へ出よう」であるから、上記のような寺山アイコンはもともとあまり無かったのであろうが、寺山のイメージではなくいわばテクストを相手にして藤田がどう料理するかと楽しみな幕開けであった。舞台は、戯曲版というより映画版をかなり意識した台本になっており、とはいえ、シンセ音やファッションショーのランウェイみたいなシーンを入れるなど、観客の持っている寺山イメージをいい意味でぶち壊して藤田ワールドを展開させる感じなどは演出の意欲を感じてその意気や良しという感じであった。元の戯曲の持つある種の音楽劇的側面を意識してか舞台上にドラムセットを設置、パーカッションやシンセなど、常にバックに音楽が流れているというのは、意識してやっているのだろうなあと思われた。ああいう断片的な集積のような筋を、例えば常にイントレを組んで解体して組み直して…というのは舞台上の物象的なテンポにもなっていたし、ミニマムな繰り返しの演技という持ち味にもマッチしていて、こういう料理の仕方が藤田演出なのだなと思ったことであった。
途中、幾つか映像が映写されて、それが舞台と絡んでくるようになるのだが、又吉直樹穂村弘が出演しているそれが、どうにも悪い意味でしか働かなかったような気がする。「書捨て」が持っている素人出演や映画の中でやった出演者への個別インタビューのようなドキュラマ的要素(松本俊夫の「薔薇の葬列」みたいなメタ的なやつ)を活用したのであろうが、マスコミで流通している文学タレントが映し出されることで、せっかく目の前の舞台でのあれこれが皮相的に相殺されていってしまうような残念な感じがあった。寺山アイコンを廃したのに、代替物としてのタレント出演という具合になってしまったように感じたのである。俳優や音楽奏者へのインタビューならまだしも、悪い意味で裏切られた感じでゲンナリしてきて、後半はもう退屈で仕方がなかった。12月15日所見。