漁書日誌 3.0

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パルコイメージステージと寺山修司

先日、ネットオークションで寺山修司台本演出の「青ひげ公の城」のパンフレット(+半券とチラシ)を落札した。寺山修司および天井桟敷関連は前々から興味があってあれこれと手が届く範囲で資料を収集していたので、今回のは嬉しい収穫であった。というか、そもそも「青ひげ公の城」にパンフがあったと知らなかったのである。いままでの公演のパンフや台本などの写真が満載されている寺山関係のムックや雑誌特集などでも、このパンフは写ったことがなかったのではなかろうか。

パルコイメージステージ/バルトークの「青ひげ公の城」1979年11月@西武劇場
天井桟敷の劇団員に加えて、主演は売り出し中の山本百合子、ほかに端役で高橋ひとみ、福井美加里らが出ている。福井美加里は後の美加理であり、ああこの頃から寺山の舞台に出ていたのだなあと思ったことである。

「青ひげ公の城」美術と宣伝美術は写真の通り合田佐和子(パンフに寄稿した文章で、ポスターはトリミングされて台無しになったと怒っている)だが、パンフデザインは戸田ツトム。中に「幻想画廊青髭館」として、建石修志金子国義山口はるみ山岸涼子が絵を寄せている。寺山人脈(+パルコ)だが、豪華だ。金がある。西武が文化事業として金をつぎ込んでいた時代の賜物であるといえよう。寺山の「青ひげ公の城」自体は、90年代初頭だったか、青蛾館という劇団が上演したのを大田区民プラザだったかに見に行ったことがある。
で、この「パルコイメージステージ」というやつ、これが初めてではない。「青ひげ公の城」に先立つ1977年2〜3月にかけて同劇場で上演された、同じく寺山修司台本演出のバルトークの「中国の不思議な役人」というのがある。

こちらは伊丹十三山口小夜子が出演して話題をさらったので、「青ひげ」よりも知名度があるかもしれない。基本的には寺山と天井桟敷の一党が脇を固め、伊丹と山口小夜子をメインにしたもの(端役で新人の浅野温子が出演、また後ににっかつ映画「桃尻娘」やATGの「星空のマリオネット」なんかに出る亜湖も出ている)。寺山の作品系譜からいえば、「盲人書簡」の延長というか、その後の「奴婢訓」や「上海異人娼館」のラインにある苦力(クーリーもの)といってもよいと思う。こちらも合田佐和子が美術と宣伝美術。

しかし「中国の不思議な役人」にしても「青ひげ公の城」にしても、寺山がメインというのが異色であったのだろう。つまり、寺山は70年代初頭あたりから「邪宗門」や「盲人書簡」など劇場の密室空間をメタ的に考察したような実験劇、即ち寺山の、劇場とは「ある」ものではなく「なる」ものである的考えの延長線上にある「地球空洞説」「ノック」などの街頭劇など、きわめて実験的な公演と、海外公演と併行して活動していた観がある。一方、そういった前衛的というか先鋭的な活動をすることで、従来の新劇文脈へのカウンターたり得ていたわけだ。状況劇場であろうが早稲田小劇場であろうが黒テントだろうが、昭和30年代後半から出て来たような文学座アトリエ的な〝もうひとつの〟劇場といった文脈から、昭和40年代半ばあたりからいわゆるアンダーグラウンドとしての意味、すなわちカウンターカルチャーとしてのアングラ演劇という意味を担っていったのであり、その最先端としての役割こそが彼らの演劇活動のアイデンティティであったように思う。
だがそれも、昭和50年代に入って一段落したのか、いや、まさにちょうどそのあたりで質的な転換があったように思われるのだ。その象徴こそ、オシャレなアングラ=パルコイメージステージである。寺山や唐や佐藤信らがとんがった若手からそれなりの大御所になり、大資本の動く舞台に進出するようになる(唐はちょっと違うか)。カウンターカルチャーとしてのアングラ演劇も、堤清二の渋谷戦略というか、パルコというファッションと流行の文化戦略の潮流の中で、それまで担っていたカウンターとしての意味から、後の80年代の第三舞台などを中心とした〝明るい〟小劇場運動としてのサブカルチャーに接続されていき、その活動自体が持つ意味が質的変換を遂げた、ちょうど端境期の舞台がこれらではないのかと思うのだ。
そういう意味では、これまた寺山演劇といった場合にあまり注目されない日劇MHでの寺山台本演出の舞台なども、あるいはまたアルバイト的エンタメ仕事として消化されていたのかもしれないが、メイン仕事を裏から支える仕事であったことはもっと注目されてもよい。寺山修司佐藤信が台本演出したバーレスクというか日劇MH公演やら、歌謡ショーの演出などは、やはり地味だからなのだろうか、寺山研究の文脈では無視されがちのような気がする。
で、「中国の不思議な役人」だが、合田佐和子によるB全ポスターを買って持っている。これは大分前、1993年の年末であったろうか、演劇実験室万有引力寺山修司没後十年公演「大疫病流行記」を上演した際に、受付でデッドストックを1万円で売っていたのだが、その前に裏方を手伝ったことがあり当時受付で2割引にしてもらって買ったものである。その後ネットオークションでチラシと台本を買った。台本も、おそらく当時の西武劇場の受付などで販売されたのではないかと思う。

これのパンフレットは見たことがないが、ちょうど1993年に寺山没後10年で池袋西武にて寺山修司展をやっており、そこで西武劇場が発行していた「劇場」という雑誌というか冊子(刊記がないのである)のデッドストックのバックナンバーを売っていて、「中国の不思議な役人」特集の号があったのでこれはと買ったのであるが、おそらくこの「劇場」がパンフの代わりなのであろうなあという作りであった。話は冒頭に戻るが、だから西武劇場の寺山ものはハナからパンフはないものと思いこんでいて、今回、「青ひげ公の城」にこういうパンフがあったことに驚いたわけである。もしかしたら未見だが「中国の不思議な役人」にもパンフがあったのかもしれない。(また加筆するかも)