漁書日誌 3.0

はてなダイアリー廃止(201901)を受けてはてなブログに移設しました。

台風と趣味展

久々の趣味展である。関西では台風が接近、その影響か関東でも昨日から雨やら突風など。今日も少し降るぞという予報ではあったが、結局は持参した折りたたみ傘を使うことは終日なかった。しかし確かにポツポツと霧雨的雨はあった。
だから古書会館に9時半過ぎに到着した際も、古書会館前には1〜2人しか人が居ない。いやいやさすがに雨だからといってそんな筈は…と近づくと、雨だから既に古書会館の扉を開けて客を中に入れており皆中に並んでいたというわけであった。今日はちょっと少なめなのかしらんと思ったが、やはりというべきか開場10分前くらいから陸続と客が来て長蛇の列になっていたようであった。そして10時開場。
いつものように奥の扶桑棚を目指しなだれ込むが、その際、入口でカゴを置いているのを発見、とっさに手に持って扶桑棚に向かう。これが正解であった。しかし今回は扶桑のテリトリーがいつもより広い。止まって手前の棚を見るべきか奥に行くべきか迷う暇もない。奥に行く。棚の上の方には漱石の元版がズラッとあり、芥川の元版もあり胡蝶本もありと、無論それぞれそれなりのコンディションだが数千円でいまこれだけのものが並んでいる棚はほかにはあるまい。1時間ほど集中して確保、その後、選別。
藤村の緑蔭叢書「家」上下重版がそれぞれ1000円と800円だやったと思いきや、よく見ると下が二冊だったので戻したり(緑蔭叢書はほかに「春」とかもあった)、逍遙の「当世書生気質」の手製合本落丁ありが2000円でおーと思うも、表紙や奥付もなくかなり逡巡した上でやはり戻すなど、あれこれとあったが、全体的に明治ものがいろいろあって今回もまた楽しめた。午前中、どんどん空いてくる棚にガンガンと追加補充がなされ、されるたびにその箇所に人だかりがする。また今回は先日買い付けた関井光男旧蔵書がゴロゴロと入っている由。どれがというのはわからないが、おそらくは落丁分のコピーが挟んであったりするのそれだったりするのであろうか。まだまだ出るらしい。大学院時代、学校に「新青年」がズラッと揃っていたのだがこれは関井氏が前に講師だった時に納入されたものだと聞いたことがある。復刻なんか出るずっと前の話。コンディションが悪くても、例えば「当世書生気質」元版が数千円で出るわけだから、これはワタクシのような人間にとっては期待も高まるというものである。お昼に友人らと一緒に脱け、ランチを共にし、お茶をしてから再度会場へ舞い戻る。
再度じっくりしつこく棚を見る。リバース分があれこれと棚に戻ってきている。また逡巡して棚に戻した本が売れている。こまかく漁りながら取捨選択しつつ、会計。以下である。


二葉亭四迷訳「片恋」(春陽堂明治41年4月1日3版1000円
後藤宙外「めぐる泡」(春陽堂明治35年5月15日木版口絵欠1500円
「第二国民小説」(民友社)明治24年12月5日再版背痛800円
国木田独歩「運命」(左久良書房)明治41年9月15日6版前見返欠500円
「めぐる泡」は鏡花序文。末尾には感想を送ってくれと著者の住所が記されている。口絵はないが、お手頃の価格で買えたと思う。共著みたいのはあるが、宙外の単著は買うのが初めてか。

「めぐる泡」は、序文だけ活字ではなく鏡花の筆跡をそのまま版におこして印刷している。この、序文は執筆者の筆跡をそのまま活かすというのは、「当世書生気質」でも速記本「怪談牡丹灯籠」でもそうなのだが、ある種の造本的常識としてこの時代にあったものなのだろうか。あるいはまた、序文を書くのは著者より目上の人間とすれば、権威からのリアルなご意見として直筆文字を使うということなのだろうか。というのも、活字にしないで意図的に筆跡を伝えるのは、リアルな生な意見ですという感触をもたらすからだ。確かに今でも映画の宣伝なんかで直筆文字をわざわざ使うのは目にする。あるいはまた文章自体は活字で署名のみ直筆を活かすってのもよくある。「群像」やら「文学界」やらに出ていた山の上ホテルの広告が、いろんな戦後作家に推薦文を書かせ直筆の筆跡で載せるというのをしていたのを思い出した。こういうのって、本当は明治期の雑誌で大家の筆跡写真の掲載するのと同じような生の筆跡信仰(その先には近代に於ける芸術家崇拝)があると思うのだけれどもねえ。誰か序文の文学史とか書かないかしら、ペリテクストうんちゃらみたいなつまらないものでなく、具体的人間関係やらに即した日本近代のそれを。
「国民小説」は第一から第八まであるもので、「国民之友」掲載の小説アンソロジー。第一だと「舞姫」「胡蝶」なんかが入っている。第二のこれにも鴎外湖処子嵯峨の舎ほか四迷の「あひゞき」なんかが入っているもの。挿絵もなく本当にこの頃は単に附録の小説を切り抜いて合冊しました的な趣が強い。それから独歩の「運命」は、既に左久良書房の元版の3版を持っているのだが、初版や3版はブルー系統の表紙。それが今回初めて目にした6版は茶色表紙。色違いで集めるほどではないが所持本がけっこう傷んでいるのでこの値段ならまあと購入することに。左久良書房の本は重版でけっこう表紙色を変えたり意匠を変えたりする印象。「花袋集」なんかも版を重ねるに従って色やらデザインが少し変わっていくのは「花袋書誌」など見ると一目瞭然。「片恋」も今回のは3版で表紙は灰色だが、以前買った4版は茶色表紙であった。

菊池幽芳「百合子 前編」(金尾文淵堂)大正2年9月1日初版、「百合子 中編」大正2年10月5日初版、「百合子 後篇」大正2年12月5日初版、各凾欠、木版口絵欠揃1000円
「百合子」の木版欠揃で千円。装幀は杉浦非水で、見返しは百合の木版デザインになっている。木版口絵は欠だが、鏑木清方のあれこれの挿絵は単色印刷が口絵として各巻に入っている。凾もあれば、非水デザインをよく楽しめるのだが、しかしまあ千円ならば文句なしである。当時各ジャンルへとアダプテーションされメディアミクス展開されたこういう家庭小説は、今読んでみてもまあなかなか読むに耐えなかったり面白くなかったりするのは現代の常識のなかで生きている以上当然なのではあるが、だからこそ文庫化や復刊は全く望めないだろうし、美麗な木版口絵を望まなければこうして当時の元版古書が手頃に入手出来る。それが書かれヒットし読まれていた時代そのものを考えるためにも、やっぱり当時の流行小説はちょっとおさえておきたいと思うのである。

江馬修「人及び芸術家としての国木田独歩」(新潮社)大正6年12月12日初版カバ欠後見返欠300円
夏目漱石「坊つちやん」(新潮社:代表的名作選書)大正13年12月25日126版200円
武者小路実篤「人生と文芸」(新しき村出版部)大正12年12月3日初版300円
現代叢書大観「円本全集販売目録」(大観堂)昭和14年3月20日5版400円
「少女の友」明治41年11月背欠口絵石版欠400円
独歩のは復刻版も出ているけれど、冒頭には独歩肖像が貼付されていたり多少凝っている。「最近日本文豪評伝叢書」の第1編だが、このあとは樗牛、紅葉、子規と4編で途絶えたようだ。他の三人はまだわかるが、しかしこの時点で既に独歩は「文豪」扱いなのだなあ、と。それだけ明治末の自然主義ブームが大きかったかということでもあろうが、逆に言えば、当時「文豪」扱いされていた樗牛など今ほぼ見向きもされない。ニーチェ日蓮そして後の国柱会などと精神的系譜を追っていけばそれなりに面白そうなのだが。「代表的名作選集」はよくあるものだが、漱石のはあんまり見かけない気がする。また実篤のも、そういえば新しき村出版部の本て蔵書には一冊もないなあと買ってみたもの。これは「武者小路小集」というシリーズの第3編で、表紙はバーナード・リーチ。細かいものでもガンガン出版して村に金入れようというので必死だったのかと思う。そして大観堂。これ、実はどういうものなのかよくわからないのだが、大観堂という本屋(新刊、古書、出版もやっている)の在庫目録のようなもので、各種全集、シリーズもの、文庫など細目リストのようになっている。資料として持っておくとちょっと使えるかなと購入。「少女の友」は創刊が明治41年2月号なので、ごく初期のもの。与謝野晶子竹久夢二の連載がある。創刊号には村井弦斎が書いたらしい。貴重な資料である。大文字の「文学」形成途上のカウンター的存在である少年少女、あるいは通俗娯楽小説などにはやっぱり興味がいく。
しかし朝イチで来るために、寝不足も酷い。雨はほとんど降らなかったが、しかし湿気は酷く、やけに暑く汗ばかり掻く。寝不足とムシムシとで買い物後は一気にグロッキーであった。
以下、最近の新刊書で気になっているもの。

戦犯を救え BC級「横浜裁判」秘録 (新潮新書)

戦犯を救え BC級「横浜裁判」秘録 (新潮新書)

日本精神史(上)

日本精神史(上)

肉体の鎮魂歌(レクイエム) (新潮文庫)

肉体の鎮魂歌(レクイエム) (新潮文庫)

風のかたみ (河出文庫)

風のかたみ (河出文庫)

知識の社会史2: 百科全書からウィキペディアまで

知識の社会史2: 百科全書からウィキペディアまで