漁書日誌 3.0

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オルタナ出版史はあります、など

金曜日。愛書会古書展。すっかり秋の陽気である。

近松秋江「文壇無駄話」(河出文庫)昭和30年3月25日初版100円
中井英夫「香りへの旅」(平凡社カラー新書)初版カバ200円
加藤秀俊「テレビ時代」(中央公論文庫)カバ150円
大嶽秀夫再軍備ナショナリズム」(中公新書)帯ビニカバ150円
現代詩手帖」(70.9)200円
現代詩手帖」(71.7)100円
注文品もなく、ゆっくり会場を見て回っての収穫は、文庫新書と雑誌のみ。「文壇無駄話」のキレイなのが100円ってのが少し掘り出し的であったか。それから雑誌は「現代詩手帖」。いずれも、帷子耀(かたびらあき)掲載号。1500部刊行された唯一の詩集「スタジアムのために」(書肆山田)もなかなかお目にかかれないが、普通に現代詩文庫かなんかで単行本化すれば売れそうな気もする(数年前のインタビューで出す気はないと言っていたような)。平凡社カラー新書は、最初奥付落丁かと思ったら、何と冒頭に奥付があるのがデフォなのね。知らなかった。中央公論文庫は、文庫と名がついているけれども新書判。荷風とか谷崎とか三島とか、廉価版のような感じで出ていて数冊持っているけれども、中公文庫が出来る前の文庫の位置にあるのがこの新書判なのだろうか。なんで文庫にせず「文庫」と名付けた新書判にしたのだろう。新書ブームだったから、とかいうような理由があるのであろうか。ちなみに「中央公論文庫」という表記はカバーをとった本体の背にしかない。
で、土曜日は四ッ谷rengoDMSで催された多摩美生涯学習センターの講座「本をつくる・歴史をつくる」で、前々から予約していた郡淳一郎氏をゲストにした「オルタナ出版史はあります」に赴いた。郡氏は昨年雑誌「アイデア」でオルタナ出版史3部作をまとめ上げたオルタナ編集者である(不肖ワタクシも、桃源社薔薇十字社、奢灞都館や森開社で参加させていただいた)。
会場。
もちろん、「STAP細胞はあります!」にかけたタイトルであり(郡氏いわく、小保方氏がもし文学界で詩人であったなら先鋭的な詩人となっていただろうとの由。正に、である。)、3部作で取り上げた本のなかから郡氏所蔵の48冊を精選して現物展示、受講者は自由に展示物を手にして見学できた。エディターシップとはどうあるべきか、そして出版とはどういうことなのか…と氏の編集哲学そして詩と書物のあり方についてキンキンに尖った話を熱く語られ、それに加えて、進行の講師陣による話や質疑応答などで合計3時間におよぶ講座は終了。その後は、18時まで受講者による48点展示見学タイムとなった。
で、これは参加者に限定配布された「仮名手本オルタナ出版史」冊子。今回の48冊がコメント付で分類されてあるリスト、それに加えて「アイデアオルタナ出版史3部作全目次が掲載されている。



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上記「現代詩手帖」昭和45年9月号をひもといていたら、下記のような広告を見つけた。

昭和45年8月29日に新宿ノアノアにて開催された加藤郁乎の詩の朗読会の告知である。構成=土方巽とあり、出演者も豪華。土方巽と加藤郁乎ですぐ思い浮かぶものといえば、堂本正樹リサイタルで加藤の「降霊館死学」を堂本が脚色したものを土方が舞ったりしたことがあったが、上記の朗読会でもパフォーマンスをしたのだろうと思われる。といって、おそらく土方全集の年譜などには未記載だろうなあ。こういう細かいの拾っていくと、実はあれこれと面白い仕事なんかがあるのではないか。以前にも、寺山の「贋ランボー傳」という芝居?に土方が出演している筈(というのは、寺山がある対談で具体的に語っていたので)なのだが、寺山、土方両者の年譜でも詳細不明。1960年代のことでも記録がないと全くないことになってしまう一例。寺山なんかも、著作集は出れどまともな書誌一つないよなあ。