漁書日誌 3.0

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新宿京王大古書市+天井桟敷の映画

さて、今日は都心に映画を観に出たので、映画の前数時間に、取り敢えずという感じで新宿京王の古書市を覗いてみた。
で、まあ買ったのはこんなところ。

たつみ都志「谷崎潤一郎・『関西』の衝撃」和泉書院1500円
本田和子「異文化としての子ども」紀伊國屋書店400円
加藤典洋「日本という身体」講談社選書メチエ500円
田中彰「『脱亜』の明治維新」NHKブックス262円
藤田富士男「伊藤道郎世界を舞う」新風舎文庫367円
まーお勉強用ばっかりか。子ども論は、谷崎「少年」論などで何人か使っているので気になっていた。あとは伊藤道郎の伝記は面白そう。前にTVのドキュメンタリーを見たことがあったが、戦後はアーニー・パイルでずっと演出していたんだね。でも、一時間まわっただけで3000円も買い物をしてしまうなど、金のつかいすぎだ。
(一番下の「映像の探求」は、ネット古書店に注文したのが帰宅したら届いていたもの。1000円。この本ゾッキ。以前はあまり見ないし漸くみかけても4000円くらいしていたんだけどねえ。ようよう、これで松本俊夫氏の単著は全て揃った。)


で、その後御茶ノ水に移動。
今日は、総評会館の先のほうの向い側の脇をちょっと入っていったところにある小屋neoneo座(こんなところがあるとは今回まで知らなかった)まで映画を。DVによるドキュメンタリー「世界の果て」である。
これは、演劇実験室◎天井桟敷に在籍していた元団員へのインタビューで、当時のことを振り返り、また、現在のことを見せるといった内容。

が、当時といっても天井桟敷は昭和43年の「青森県のせむし男」から昭和58年の「レミング」まで活動期間は長い。今回のは中期に活躍して退団していった人中心だった。因みに中期とは、これは誰だったか寺山論の本で分類していたと思うのだが、肉体の復権とかドキュラマ(ドラマ+ドキュメント)とかいっていた初期、それから「邪宗門」(1972)あたりから「盲人書簡」「阿片戦争」あたり、まあ「ノック」(1975)までか、その辺の実験色の強いのが中期、そして「疫病流行記」(1976)から「レミング」(1979)へ至る後期、というわけだ。

(以下、天井桟敷の話)
で、出てくるのは、シーザーの実況録音版「邪宗門」で、ラストに名乗りをしたような人々(この芝居は、ラストにそれぞれの役をやってた俳優が役柄から解放され、自分自身の名乗りを上げるというメタ演劇的な構造なんです)。でも今回の映像を見ていると、大体その人達は昭和50年くらいまでには皆退団しているようだ。しかしまあ、当時の写真とか映画とかで出ている人の今を見ると、いやー年月を感じます。映画「書を捨てよ町へ出よう」(1971)主演の佐々木英明氏は、口ひげあごひげの禿頭気味の感じで出てきて、しかもしゃべり方や声はほぼ記憶の中の映画と同じものだから、なんか奇妙な印象でした。奇妙と言うよりギャップが激しい。「あの時お前に何があったんだ、え、何が!」とかよく一人で物まねしたものです(高校生の時、冒頭のモノローグ全部科白覚えて真似出来ましたもの。暗い高校生です。笑)。それから、小野正子氏。映画「田園に死す」(1974)にて、赤いバラを口にくわえ全裸にショール?一枚で踊り狂うシーンがあったと思いますが、それとか確か「地下演劇」の5号だったか、「人力飛行機ソロモン」のアーヘム篇か何かで、全裸で教会に入って問題になったとかいうキャプション付きの写真が出ていましたが、その人が……という感じでした。スタッフや役者に関しても、縮刷版の「天井桟敷新聞」とか、写真集「天井桟敷の人々」(土曜美術社)なんかに顔写真が出ているのでだいたいわかりますよね。ええ。

で、まあ中期の人々中心なので、話はその辺が主体。特に、市街劇へとグイグイ劇団および寺山を引っ張っていったのが河田悠三氏だったというのは知りませんでした。でも「地下演劇」の当時のあたり(5〜6号)なんかザーッと読んでいると、当時美術なんかほとんど仕切っていたようですし所謂無人島の発明者?でもありますよね。劇団員のなかでもそういう位置にいたんだなあ、というのはじめて知りました。
はじめて知ったといえば、佐々木英明氏がどうして桟敷をやめたのか、という理由も今回初めて知った次第。というのは、ミクリシアターでの「阿片戦争」の際に、例の、観客に睡眠薬入りのスープのませて……というお馴染みのエピソードありますよね、当時佐々木氏はそれを担当し、そういう考えについていけないと退団を決意したといってました。
それから、「ノック」の際の幻一馬(小暮氏)退団について。ご本人が語っていました。これは前になにかで読んだような気がします。結局、「ノック」で警察介入した時に、観客に寺山が俺はもう劇団抜けると言い出した、ということがあった、と。まあそれが引き金になったということです。
渋谷の天井桟敷館の事務員のオジサンとかにも取材していました。とはいえ、今でも現役で演劇界に身を置いている人(俳優、演出家、制作)には取材は無しでした。これはこれでサッパリと区別していて作成者のまとめ方だと思いますが、今度はその後も演劇界に残った人々バージョンを見てみたいですねえ。あるいはこの映像見せて、そのリアクションを。
もうちょっと当時の写真(それも個人蔵の今まで見たことないようなやつ)出てくるかなあと思ったんですが、それはごくごく少数でした。こういう感じの、以前にも、確か1993年くらいですかね、新宿のシアターpooにてやった昭和精吾氏の公演で、ああ、あれはスライドだったか、いろいろ写真を見たような気がします。その中に、J.A.シーザーというのをジュリアス・アーネスト・シーザーと表記したものがあって、これが正式名称か、と思ったものでした。
観客はワタクシ入れて十人くらいでしょうか。もったいないなあという気もします。
あ、そうそう、あとこれも期待していたんですけど、「邪宗門」公演の話。渋谷しかなかったですね。ご存知の通り、伝説の渋谷公会堂での公演は昭和47年1月30日の一回のみなんですが、でもこれって青森公演とか大阪公演もありましたよね。そこでは数回やってるし。どうも渋谷の時があまりに伝説化されてて実際どうだったのかはよくわかりません(ただし大阪公演=サンケイホールでも結構アバレたようで、当時のサンケイホール管理人が怒りをぶちまけた回想をその著書に書いていました。劇場あちこち壊しておいてこれは芸術だで逃げようなんて酷い連中だ、とか)。だからその辺のことを知りたかったんですよね。今回もいってましたが、市街劇とかいって、けっこう劇団員も乗り気ではなくあまり面白くなかったというような意見がありました。そうだろうなあ実際は、と思います。その意味では、市街劇ではないけれど外でやった「地球空洞説」(1973)なんかも興味あるんですがね。これにも触れませんでしたねえ。
と、これを書いていて思い出しました。天井桟敷の公演の映像、しかも動画というと、今DVDになった「レミング」以外はアップリンク発売のビデオがありますが、寺山没後十周年の時の映画祭@渋谷で、幾つかみた覚えがあります。劇映画とか実験映画はパルコでやって、ドキュメンタリーとかはユーロスペースだったか。で、ユーロスペースで、今でもソフト化されていないものを幾つか。確か「奴婢訓」の稽古のドキュメンタリー映画を観ました。どこかの専門学校か大学の映画学科の卒制か何からしくそういう表記が入っていましたがアレはレアでしょうねえ。それから、これも没後十年の時か、当時やっていた11PMの後番組であるEX-TVで寺山特集をした時(確か池袋西武での寺山修司展の宣伝をしていましたのでその頃)に、チラと、当時「奴婢訓」を番組に出て宣伝する寺山とか公演の模様とかのVTRが流されていました。確か録画した筈なんですけどね。でもまあ、昭和40年代のは全く残っていないのだろうなあ。まあどうでもよい話です。