漁書日誌 3.0

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太宰治展に行く

この土日に開催される秀明大学学園祭・飛翔祭にて催されている「太宰治展—第一小説集『晩年』」に行ってきた。

聞きしに勝る展示で、正に圧巻というほかない。それもそのはず、展示物は川島幸希コレクションなのでむしろ当然というべきか。今度の太宰展は、芥川展、梶井展、賢治展と続いてきた第4弾。来年の漱石展でラストだというのがちと残念ではあるが、来年もさぞかしであろう。しかし、単に質量ともにスゴイというだけではない。というのは、それが百年一日のごとき「文学研究」的な、すなわち内容至上でよくある文学館の展示にあるような展示を超越しており、正にワタクシが評価するのは、徹底的に書物それ自体にこだわる姿勢にある。つまり、抽象的なテクストなるものは存在しない、あるのは書物というオブジェに肉化されたテクストなのであって、装幀造本はいわずもがな、そこでは帯一枚でも欠けてはならない貴重な部分として全体が構成されている書物それ自体がズームアップされているというその徹底ぶり、なのである。
で、展示。会場は3室に分かれている。まず第1展示室は、徹底的に書物としての「晩年」を展示する。


尾崎一雄旧蔵「晩年」極美本という展示が冒頭にある。極美本を「極美本」として展示するこの感覚、もしかしたら古書通以外には理解しにくいのかもしれない。しかしここまでコンディションよく元パラ付の状態の本は、おそらく天下一本。復刻版のように見える。それから、収録作の各初出誌が並び、次いで、「晩年」という書物が版元である砂子屋書房の同時期の出版物に比してどれだけ異例であったか=規定フォーマットではなく著者の意向を反映しているかが示され、元ネタとなったプルーストの訳本が並列され展示される。アンカットという形態、そしてまた帯にある誤植と誤植を訂正してしまった復刻(正しくは訂正した時点で復刻ではないだろう)帯との比較。「晩年」の初版のみに付せられた口絵の著者肖像写真と他の太宰初版本の口絵写真の比較(とりわけこの展示のなかでもワタクシには一等興味深かった。そこには知っている太宰、知らない太宰といったイメージがあり、書物を通じて作者イメージがここに形成される。そのうち、著者肖像の文学史でも書いてみたいものだ)、出版広告、題字の由来、異装版を含んだ再版、三版本、改版本の展示。文学研究の場ではとかく等閑にされてきた書物にまつわるあれやこれやというものが、微に入り細を穿って比較検討される。ここまで徹底して初めて、作品としての書物、流通商品として書物、オブジェとしての書物というものが見えてくるのであろうなあ。エッセンティアではなくエクステンツィアなのだ。

次に第2展示室。まずはズラズラと「晩年」初版の献呈署名本が列挙されている。宛名によって識語がそれぞれ違い、なおかつ、いかにもイロニーたっぷりな太宰らしい識語がまた興味深い。ついでに太宰の他の本にある献呈署名本もズラッとあって献呈署名本が一堂に会し10冊以上はあったであろう。識語の違いのみならず、筆跡の変化なども見ていて飽きない。他に同時期の肉筆、手紙から今回初展示となる葉書、井伏らの関連書簡なども展示。そして今回じっくり見るのを楽しみにしていた「皮膚と心」の特装本。

制作の経緯や何部あるのかなどは未だ不明である由だが、茄子色の地に青や朱の糸が織り込まれているようなかなり凝った布装本。公の展示は今回が史上初ではないか。徹底的にやりつくされたような感もある太宰ですら、未だにこういう新出本があるのである。書誌の世界は深く尽きない。
で、最後に鎮座しているのが三島由紀夫関連資料。太宰なんか寒風摩擦すりゃ治る的な発言ばかりが知られているが、あれは自身相当に意識していた近親憎悪の表れか。それはそうと、2点の資料が展示されていた。まずは「サド侯爵夫人」の私家限定5部本。この本についての詳細は、拙稿(「日本古書通信」14年5月)を参照していただければ幸甚だが、公の展示は昨年10月に東京堂で催された榛地和装本展以来だろう。といって実物公開はなかなかない貴重な一本。

そしてお次は、近代能楽集「綾の鼓」の原稿揃。全面読める形で冒頭2枚と終わり2枚の計4枚が展示。原稿では「近代謡曲集」とあるのを「近代能楽集」と訂正した痕跡とか三島が「鼓」の漢字を全て誤記しているとか興味深い。

これはもう10年以上前になるか、神奈川県立近代文学館での三島由紀夫展でも実は公開されているが、ワタクシなどはすっかり忘れていた。しかも今回は写真撮影自由なのである。高画質でキッチリ撮影出来た。
さて、そして第3展示室である。ここは、この展覧会の売りの一つでもある初版本を自由に手に取って閲覧出来るスペースで、「晩年」初版帯付から昭和20年代半ばくらいまでの各種版本までがズラリと並べてある。これまた圧巻の一言。

さすがに「晩年」の帯は傷むからであろう、硬質プラスチックのケースに入り別置。しかし観客お触り用といってコンディションが悪いものばかりかというと、そんなことはなく、こんなにコンディションの良いものをここに並べてしまっていいのかとコレクター気質丸出しのいらぬ心配をしてしまうほどのものもあった。

太宰の本はそれぞれ復刻版があるけれども、といって復刻版はあくまで復刻版である。普通「ちょっとガラスケースの中の「駆け込み訴へ」見せてくれ」などと古書店ではまずいえないけれども、ここでは気軽に手に取ってパラパラ出来るのが嬉しい。「女の決闘」も帯付で展示。さすがに「愛と美について」の帯はなかったが。様子をうかがっていると、大体古書マニアか一般の人かが、本を扱う動作でわかってくる。知っている人間はわかっているので、本を大きく開くことはせず、パラッと中身を見るのである。
せっかくなので、今回の展示物の中でもちょいと珍しいものを。



上から、「右大臣実朝」(増進堂、昭和21年3月)のカバー、「ヴィヨンの妻」(筑摩書房、昭和23年1月再版)の異装カバー、そして「春の枯葉」(川崎書店、昭和23年12月)である。増進堂のは後版、「ヴィヨンの妻」は再版ではあるが、外装であるこのカバーはかなりレアものである由。また、「春の枯葉」は鎌倉文庫から同年4月に出たものだが、これは北海道の版元がほぼパクって出したバージョン。こういう細かい異装や後版をキッチリとおさえてあるのがやはりスゴイ。フェティッシュといわれてしまうかもしれないが、これらのあれこれは、戦後すぐのああいう状況の中で、太宰の作品がどのような形で普及し受容されていったのかを如実に、しかも物理的に語る貴重な資料である。常に既にブツとしてそこにある作品に立ち返ること、全集だけで事たれりという研究であってはならないなあと改めて認識させられたのであった。

人間失格」の初版本30冊。これは来場者プレゼント用で、名前住所などを抽選用紙に記入して応募するもの。キッチリ応募させていただきました。しかしこれだけ集めて並べると、それぞれ微細な差異があるなあというのもよくわかるもの。「人間失格」には、背文字の「筑摩書房」という表記が右からと左からの表記と2種あると思っていたが、帯なども色味や活字が異なっているのがある(帯は4種ある由)。こういうのも、ズラリと並べないと気がつくこともないだろうなあ。

で、会場販売のグッズである。太宰初版本カレンダー500円にクリアファイル2種各300円、そして図録1000円。この図録、通販はしていないとのことで会場限定のものだというが、これがまた今回展示された識語から手紙から異装の数々まで、写真と詳細な解説付きで掲載されているもの。コレクターはもちろん研究者も必須アイテムだろう。