漁書日誌 3.0

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しわすとサド

今年もあとわずか数日となった。いつものように正月の酒を買いにでかけ、今年はビックカメラで獺祭を買ってきた。先週の古書展には行かれず、結局今年の古書納めはもう明日くらいには届くであろう某資料くらいだろうか。ここにもあれこれと記してきたが、とりわけ師走に入ってから、雑事に忙殺されてアップしようとしながらそのままになっていたものもある。ということで、幾つか漏れたものなどをまとめて書こうという次第。また、先日行った芝居についても記す。

大江健三郎「夜よゆるやかに歩め」(中央公論社)昭和34年9月20日初版カバ3000円
大蔵貢「わが芸と金と恋」(東京書房)昭和34年11月2日4版カバ800円
大江のはネットオークション、大蔵貢のは地元の古書店にて購入。「夜よゆるやかに歩め」は前に講談社ロマンブックス版を五反田古書展だったかで300円くらいで買って既読であった。初出と元版単行本とロマンブックス版とでしか読めず、確か著作集などには一切未収録だったと思う。今度出る全集にも入らないのではないか。身内のことを書いているからか、そりゃそうだろうと思われるも、研究者の論文なんかは見たことがない。帯が付いて綺麗だと以前は1万円以上したものだが、まあ状態がよいとはいえ今大江に3千円というのはちょっと高かったという気もする。
それから大蔵貢。御存知、新東宝社長。この本自体はもう15年近く前にカバ欠本を西部古書展だったかで500円くらいで見つけて買って、以来、適価でカバ付が欲しかったものだが、今ようやくというところ。

ミーケ・バル「ナラトロジー」(トロント大出版局)3版PB1325円
伊藤重夫「踊るミシン(青版)」(アイスクリームガーデン)カバ帯限定470部定価
バルのは今更ナラトロジーでもないだろというのもあるのだが、ちょいとお勉強用にマケプレで購入。「踊るミシン」というのは漫画。80年代のもので、たまたま下北沢の古書ビビビに行くと積んであり、なんとなくいかにも80年代らしい感じが気に入って購入。定価は1700円くらい。人気のプレミア絶版漫画で、限定復刊したようだ。


高安月郊「月郊脚本集」(私刊)大正5年10月1日背傷300円
地元の古本屋にて購入。高安月郊というと、歌舞伎脚本とか明治美文の詩とかのイメージで今まで敬遠していた。背は羽二重で平と見返しは木版、中にも木版口絵や挿画的なものが4〜5枚入っており、「特製八十部の内第三十号」と番号手書きで入っている。これが300円ならと買ってみた次第。しかし何故私家版なのだろう。「月郊文集」「月郊詩集」「月郊脚本集第二」とこれらすべて私家版で出ているようだ。ということは特製といってもそもそも特製しかないのかと思いきや、秋頃の南部古書会館での古書展で特製ではない「月郊脚本集」を見た。何が違うのかといえば、背がクロスか羽二重かの違いらしく、木版口絵などは一緒であった。まあ買った本には「桜時雨」が入っているので、これくらいは目を通しておきたいなと思う。
戯曲といえば、これはまあどちらかといえばレーゼドラマだろうが、歌人の戯曲集も買った。こちらはネットオークションである。

柳原白蓮「戯曲 指鬘外道」(大鐙閣)大正9年3月25日初版凾2100円
どうにもワタクシには、詩人や劇作家の小説とか歌人の戯曲とか、別ジャンルの作家の作品に興味があるところがあって、小山内薫の小説とか高橋新吉の小説なんか興味があるのであるが、歌人の戯曲といえば吉井勇くらいしか知らなかった。背革装で口絵には多色刷の夢二(コロタイプか)が入っているなかなか立派な本。指鬘外道とはシャカの弟子のアングリマーラのことだという。指鬘外道のエピソードを白蓮その人のあれこれに結びつけたくなるけれども、この時分、逍遙の「役の行者」も確か仏陀系の話。一方で「受難者」みたいのが流行れば一方でこういうのが出るのは当然だろうけれども、大正期文芸における仏陀モチーフというのは追いかける価値があるだろうなあ。


ワイルド/日夏耿之介訳「スフィンクス」(奢灞都館)限定550部凾10000円
バタイユ生田耕作訳「初稿眼球譚」(奢灞都館)初版凾5000円
これはまたなかなかのお値段のものだが、集めている(いた)奢灞都館の本でも持っておらず欲しかったところをようやく入手。「眼球譚」は再版凾付を書誌ひぐらしでこの3倍の価格で買ってそれでもホクホクしていたなあ。当時初版は3万円していた。90年代末の話。この「眼球譚」の装幀が好きで、装幀というものに改めて開眼させられた本でもある。「スフィンクス」も前は相場3〜5万円くらいしてとても手が出なかったもの。いま澁澤とか生田とかのこういった本が下落続きでやっと買えるというわけである。「スフィンクス」は確かこの総革装が3部だかあった筈。凾の背に前の持ち主がタイトルを自作して貼付していたので(元々背は無地)、前に京都の版元にうかがった時にいただいた凾に合わせた(こういう日がいつか来るだろうと返品分交換用の凾だけ余っていたのを頂いたのである。ようやく17年も経て実際に用いることになった)。
さて、10月くらいから今月までで買っていたもので漏れたのはこんなものだろうか。他にも幾つかあるが、それは今度書くエッセイやら論文やらのネタなので省く。
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ところで、先日吉祥寺にある吉祥寺シアターという劇場へ初めて足を運んだ。鈴木忠志のSCOTで「サド侯爵夫人」をやるというからである。前にもやっていて、今度で2回目か3回目かであるが、2幕だけの上演。「北国の春」というおそらく演歌を基にした鈴木忠志台本のものと併演で、当日券狙いで行くとギリギリ残っており、無事観劇できた。
鈴木忠志の世界」(「北国の春」「サド侯爵夫人」2幕)
2017年12月15〜24日@吉祥寺シアター/演出・鈴木忠志
まずは「北国の春」を上演し、その後90分くらい休憩。その間に吉祥寺の町に出て夕食を摂り、お茶してから「サド侯爵夫人」という流れ。2幕だけの上演ってどういうことだ、と思っていたが、そりゃそうだろうと観た後に納得。鈴木メソッドによる俳優の、なんというか、濃密な演技で、あの調子で3幕やったら5時間くらいかかるのではないかという感じ。作中一番盛り上がる2幕でも十分楽しめた。幕開き、ものすごい形相で客席を睥睨するルネと上手にアンヌ。そこにド演歌(美空ひばりか?)が大音響で響き渡りモントルイユ登場。一種独特で言葉の隅々まで力の入りきったようなゆったりとした台詞回し、またもや昭和歌謡?で野村サッチーのような作りのサンフォン登場。アンヌ連れて退場する時に、どこでも自在の羽をお持ちなのね的台詞がなかったので、おそらくテキストレジーしているのであろう。あのドギツイ演技術と演歌という演出でも、テキストがぜんぜん負けていない。戯曲の強度ってこういうことかしらと思ったことである。23日夜所見。