漁書日誌 3.0

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古書とライ王

ここのところ、ネット古書店やらマケプレで買った古書。

山崎安雄「著者と出版社」(学風書院)カバ帯100円
雨宮庸蔵「偲ぶ草」(中央公論社)カバ帯1214円
赤塚行雄「『新体詩抄』前後」(学芸書林)カバ帯550円
柳田泉「随筆 明治文学1」(東洋文庫)凾帯199円

日阪洋吾「鏡に消える少年」(思潮社)凾昭和49年3月16日発行500円
先週もそして昨日今日の城南展にも行けなかった。わざわざ都内まで出たのに残念としか言いようがないけれども、ネット古書店やらヤフオクやらマケプレであれこれと買い物をしてしまっているし、多少は懐が助かったかもしれない。
雨宮庸蔵は、戦前に中央公論の編集者、出版部の編集者、戦後は読売の記者なんかをやっていた人物。その回想記で、谷崎、荷風、白鳥、志賀直哉等々の思い出などを書いている分厚い本。「著者と出版社」も幾人もの小説家とある出版社(例えば谷崎と中公など)の結びつきをエピソードと共に紹介するような本。まあちょっと伝聞に次ぐ伝聞であろうから眉唾ってところもあるだろうけれども、こういう本が、文学青年のゴシップ欲を充たしていたのであろうなあと思う。即ちそれだけの需要がありそれなりの受容があったのだ。「随筆明治文学」は何故か知らないけど1のみバカ安で、汚いのかなと思ったが新品同様の本が届いた。ただい2.3は高い。500円以下で欲しいものである。「鏡に消える少年」というのは、まあマイナーポエットの詩集なのだが、中にヌードの著者写真が複数入っていてナルシスティックな印象。堂本正樹氏が跋文を書いている。
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ライ王のテラス@赤坂ACTシアター
宮本亜門演出。初日に観劇。「癩王のテラス」は、小劇場でわずかにやった形跡があるのであるが、ある程度の劇場での上演は、初演の帝劇と三島没後の三島作品連続上演の時と、それくらいしかない。もともと大劇場向けのスペクタクルとして書かれているところもあり、ラストの場面とかはやはり巨大な舞台装置が必要であろうし、昔のカンボジアを舞台とした話でもあり、それ以来上演がないというのも頷けるところもある。しかもタイトルに「癩」と入っていて、昨今とりわけ差別問題とからめてこういう方面のものは触れちゃいけないタブーのような空気がある印象であり、小劇場ならまだしも、商業的な舞台ではまず再演されない演目だろうなあと思っていたのだが、そこをズドンと突いてきた公演はそれだけでも快挙だし、亜門演出であれば、これが楽しみでないわけがない。
改めて戯曲を読んで舞台に臨んだのだが、やはり亜門節というか、些末な細かいところ、例えば最初のシーンの子供達のところなどはカットして、代わりにイメージ舞踊のようなものを入れ、ゴテゴテとしない舞台でしかもテンポ良くまとめていたのが印象的であった。なにより、おそらくカンボジアの人であろうダンサーなども使っており、冒頭のジャヤバルマン7世の戦のイメージとか、その凱旋行列とかを影絵でやったり、それが決して安くならない工夫があって、ちょっとだれそうな戯曲をエンタテイメントとしてうまく処理していたのはサスガである。俳優達も好演、とりわけ主役はまさしく体張っての演技であったと思う。途中、ちょこちょこ出てくる猿(人間猿)は、癩の擬人化というか擬猿化かと思っていたのだが、必ずしもそうではなかったようだ。客席側に完成した寺院がある見立てで舞台が進行していたが、もちろん、ラストにはドドーンとあの黄金の顔(かんばせ)が出てくる。
なんというか、これは元もと戯曲の問題であるのだが、前半が王室のあれこれの人間ドラマ、後半が王の観念的な話になっていき、肉体か精神かという二元論的な問題が展開されていく。ある意味でわかりやすくある意味図式的かもしれないが、芝居ではこのくらい分かりやすくないと観念的に過ぎるのであろう。精神は滅び、肉体は不死なのだ、というところなどは、芸術家と芸術作品の関係、ばかりか、己の肉体を芸術作品とした場合の芸術家の陥らざるを得ないジレンマをあらわしているように思われて仕方なかった。実際は逆であろうが、そこに三島由紀夫本人の願望を読み取ってしまう。若さみなぎる肉体は、必ず時間のなかで老いさらばえて醜く滅びる。とすれば、そもそも若さみなぎる肉体そのものが滅びの必然を抱えているのだ、というようなセリフが「豊饒の海」にも出て来たと思うが、過日報道があった三島が最晩年に己のセバスチャンのポーズでのブロンズ像を作成依頼して完成させていたことなどを思い出したものだ。
また、例えば蛇神ナーガというのは「朱雀家の滅亡」の女神と同じ役割だなあ(朱雀も同じ時期に執筆。「癩王」はずっとお蔵だったのがようよう初演されたのである。決定版全集解題参照)とか、やはり戯曲を読むだけでは気がつかないあれこれを実際の舞台は発見させてくれるところがある。3月4日所見。17日まで。