漁書日誌 3.0

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古書と芝居と

9月26日土曜日、都内出たついでに和洋会古書展会場へ立ち寄る。

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谷崎潤一郎「新版春琴抄」(創元社)初版凾500円

谷口雅春占領憲法下の日本」(日本教文社)重版200円

平岡正明浪曲的」(青土社)カバ帯400円

「新版春琴抄」初版は、実は持っていなかったので凾がぼろいがようやく。というのも、この本の初版と重版では凾につまみ出し口というか半円形の切り込みが重版にはないのである(2版、3版を確認、4版以降未確認)。「占領…」は三島序文、平岡のはお安く探していたので嬉しい。

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9月になってからあれやこれやで、演劇が次々と上演再開されてきたような印象がある。三島関連でも、前にここに書いた劇団新人会もそうだし、日生劇場でのMishima2020やら三条会やら。上演再開は嬉しいけれども、こうも立て続けだと懐を直撃する。花組芝居の「地獄変」も再開してくれないだろうか。

で、Mishima2020の全4作、観に行ってきた。

21日に「橋づくし」と「憂国(「(死なない)「憂国」)」、26日に「真夏の死(「summer remind」)」、「班女」とである。そのあいだの25日金曜日には、スズナリに三条会の「サド侯爵夫人」があった。

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Mishima2020は4作品のうち戯曲は1作のみで、あとは小説の脚色、アダプテーション作品である。「橋づくし」は前に新派でも上演しており、とりわけラストはつまり「みな」についてはどう処理するのかと楽しみにしていたのだが…一応舞台は昭和30年代初頭に設定しているらしいのだが(そういう台詞があった)これについては新派初演のことも含めて論文にしたいのでそこで詳しく書くつもり。「憂国」は三島生前に一度バレエとして上演されていて、そのポスターを横尾忠則が担当したことなどもあったが、こういう舞台化は初めてではなかろうか。といっても、小説「憂国」の舞台化というよりは今現在における舞台表現を通した「憂国」批評という感じのもので、それならばタイトルも納得という感じ。警官に看護婦の夫婦、ライブハウスに密で閉じこもる人間らの対処に同じくライブ仲間の警官が行かなければならない、仲間を逮捕しなくてはならない、という流れ。警官「憂国」を愛読しなぜか急に切腹しかけるが妻がとめて、しかもそこにライブ仲間から何事もなかったかのように誘いの電話がきて…という結末。台詞でも言及していたが、原作のバタイユ的性愛については捨象して、イデオロギー的側面のみ無理矢理に取り上げた感じが残ってしまうのは、せっかく妻役が看護婦設定であるのに、あっけなく人が死んでしまう現場にいるにもかかわらず、死が他人ごとで一寸先は死という切迫感があまりないからなのかもしれない。野心的ともいえるが、わざわざ「憂国」をセレクトしなくてもよいのではとも思われた。

その意味では、「真夏の死」は舞台に椅子2脚のみで夫と妻の語りによって展開するもので極めてシンプルな舞台で、現在を舞台にしている設定。妻の方が語るうちに段々と狂的になっているところがあって面白かったが、夫は自分の妹も死んでいるのに他人事で、長々とソープ嬢相手にああだこうだ語るシーンも狙った効果は希薄で滑稽以前に冷ややかな違和感が残った。やはり小説の舞台化はなかなか難しい。どんどんチャレンジするべきと思うが、なんというか、脚色した服をハンガーにかけたはいいが、そのハンガーが舞台たる箪笥の柱になかなかかけられない、という塩梅とでもいえばよいか。そして「班女」はやはり戯曲であるということもあってその点は安心して観られた。ただ、いちいちイメージ映像のようなものをホリゾントに投影するのがちょっとうるさい。麻実れい橋本愛ほか台詞で十分あの舞台を制御できるのに、なぜああいうのを入れるのだろう。今回のすべての作品にいえることだが、これ日生劇場ではなく小劇場ならそれなりのまとまりがあったように思えて仕方がない。日生の舞台だってそこまで大劇場というわけではなかろうが、演出側に舞台空間がスカスカになってしまうことを忌むところがあったのではとすら考えてしまう。費用や日程などの問題もあったろうが、演出と舞台空間が齟齬を来しているというかジャスティファイしてないような感じというのを総じて受けた。

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25日の金曜日、15時開演で三条会の「サド侯爵夫人」。三条会の三島も「熱帯樹」以来であろうか。客席は25席限定で、料金は6千円。ちょっと高いなと思いつつも、これは値段相応のよい舞台であった。舞台は学校の教室のような感じで机と椅子が列び、ハリーポッターのテーマ曲が流れるなか、そこにシミアーヌとサン・フォンがセーラー服姿で登場。そしてモントルイユも高校の女子制服で登場。三条会っぽいなあと思っていたが、俳優はあの台詞をなんなくこなしている。俳優3名に、首輪に繋がれた犬がシャルロット(台詞は犬を連れてる黒衣)、そしてアンヌは黒衣。それでもなんでも、2幕途中くらいまでまったくあの台詞につっかえずにゆうゆうとこなしているのがなかなかの伎倆で、特にサン・フォンは抜群であった。台詞つっかえたくらいで別になんてことはないのだが、客が先回りして「あの俳優はつっかえたことを気にしてまたつっかえてしまうのではないか」といういらぬ意識に苛まれる…というのはわたしくらいか。最後、舞台面はブルーシートを使ってチラシ絵のように海?というか海岸?になるのがよくわからなかったが、台詞は台詞として技術的にも徹底的に駆使しつつ自由な演出で攻めていくのが面白かった。