漁書日誌 3.0

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黒蜥蜴すぎて


先日、デヴィッド・ルヴォー演出「黒蜥蜴」@日生劇場に行って来た。製作は大阪の梅田芸術劇場で、東京公演のあと大阪。ルヴォー演出の「黒蜥蜴」は、前にtptでやったのを行きそびれてしまったので、しかも主演は中谷美紀だというし、これは新鮮な舞台になるのではと期待していた。
本当ならば、見て来てすぐに記せばよかったのだが、原稿やら採点やらてんてこ舞いの状況が続いてうっかり書くのを忘れてしまい、印象も散漫になってしまった。それでも自分用の覚えとして幾つか箇条書きに。大がかりな舞台装置は用いずに、主な動きは回り舞台をフル活用。舞台転換にいちいち時間がかからず、これがある種のテンポになっていた。最初のホテルの見せ場である「この二の腕の…」のところ、明智が「珍しい女賊です」というところ、「じょぞく」ではなく「にょぞく」と発音しており、む、ムムム聞き違いかと思ったが、ラストのシーンでも明智は「にょぞく」と言っていた。丸山明宏の映画版でも言っていたので、「じょぞく」とずっと思い込んでいたが、これは「にょぞく」なのか。それから、岩瀬家のお勝手のシーンが始まるときに、拍子木が鳴り響いたので、おやおや歌舞伎の演出なんかを意識的に取り入れているのかと思いきやそれだけだった。戯曲ではインターホンで岩瀬夫人ががみがみ司令するのをお手伝いひながハイハイ受け答えるのだが、インターホンがラウドスピーカーのようなやつになっていた。合わなくはないのだが、インターホンって、おそらく執筆当時の昭和35年には最新の家電だったと思われ(例えば「三原色」の携帯ラジオなんかもそうだ)、へえという感じであった。時代は、あえて1960年に合わせてあるわけでもなく、いつでもない昭和という感じ。これが美輪版だと、ファックスだのなんだの現代化していたし、SPACでやった時はちょいとレトロなテイストを衣裳やなんかで意図的に出していた。一筋縄ではいかない黒蜥蜴を中谷はこなしていたかというと(ちょいと若すぎるのではないかという危惧もあったが)、これがこなしていた。冷徹な感じと官能性(とくに長椅子に接吻するところ)が下品にならずに同居していて、さすがなものだなあと。テキストは、どこか端折ったりした箇所があっただろうか。気がつかなかった。「黒蜥蜴」は、実はけっこう長いし、下手をすると中盤けっこうダレるのだが(特にお勝手の場、東京タワー、水葬の場)BGMなどを使ってうまくテンポを出そうとしていたところに工夫がある。そういえば、明智と黒蜥蜴がアメリカンピノックルをやるシーン、舞台奥に大時計がスライド投影されていた。これは水谷八重子がやった初演(では装置だったが)と同じ。あの時の装置はたしか伊藤熹朔である。恐怖美術館の雨宮が閉じ込められる檻は、黒衣が手で持つ長い蛍光灯で処理。これも違和感なく。ただ、人間剥製の気持ち悪さがあまりなかったのはちょっと残念。つまり、中谷美紀黒蜥蜴は綺麗でスマート過ぎて、わたしに言わせれば洗練されすぎた美意識が行き着く悪趣味というか、キャムプ味が足りなかった。とはいえ、全体的にだれさせずにラストまで緩急ある流れで完成度は高い。1月27日マチネ。
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ここのところ地元の古本屋やネットオークションやらマケプレやらで池袋三省堂ふるほん祭で買ったもの。

石井寛治「情報・通信の社会史」(有斐閣)、塩川京子「市井の文人鏑木清方」(大日本絵画)、本庄桂輔「「学統」編集の思い出」(白鳳社)、ロミ「突飛なるものの歴史」(平凡社)、金田晉編「芸術学の100年」(勁草書房)、近藤耕人「目の人」(細流社)、内田市五郎「ポウ研究」(日本古書通信社)、正岡容「寄席」(三杏書院)カバ。100円から1000円。

中村金雄「ボクシング奇談」(ベースボール・マガジン社)昭和31年6月20日カバ300円
石角春之助「乞食裏物語」(丸之内出版社)昭和10年2月20日背改装2000円
石角のは昭和4年の「乞食裏譚」の再刊本。背改装でちょっと高いなと思ったが、写真も豊富だしまあ、と。「ボクシング奇談」はよくわからないが、戦前から戦後までの裏話集のような感じ。

北村匡平他編「リメイク映画の創造力」(水声社)新刊
グレゴリ青山「コンパス綺譚」(亀鳴屋)限定531部新刊
「リメイク映画」はご恵贈いただいたもの、感謝です。小説から映画へのアダプテーションを考える際に、リメイクというのも気になるところ。「コンパス綺譚」は魯迅やら金子光晴やら出てくる大陸漫画。

井上隆史「「もう一つの日本」を求めて〜三島由紀夫豊饒の海」を読み直す」(現代書館)新刊
著者よりご恵贈いただきました、感謝。世界文学、全体文学という視点から「豊饒の海」を捉え、いかにもありそうな三島論を脱した、そもそもなぜ小説なのかにも鋭く迫りながら「豊饒の海」に切り込んでいくたいへんスリリングな本。井上氏は何度か単著で「豊饒の海」を論じてきたが、これはその決定版となるのではないか。冒頭しか読んでないが、小説論としても新知見があって読み応えがありそう。