漁書日誌 3.0

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漫画と芝居

午後、所用で神保町に出、17時半に神保町を出る。田村書店の外台だけ見た。欲しいものは何もなかった。
半蔵門線で表参道まで出る。

昨日からはじまった、山田勇男個展に赴く。
場所は、骨董通り奥のハンティングワールドを右折したところにあるビリケン・ギャラリーというところ。

正しくは山田勇男ポスタァ展であった。
で、お目当ては、昨日発売となった山田勇男漫画集「戯れ」限定380部を購入することであった。思った通り、ギャラリーにはサイン本が積まれていた。山田勇男氏もいらしており、宛名もその場で入れて頂くことに。すると、スラスラと、例のキネマ書体で宛名を書いて頂いた! この書体で書いて貰うのが嬉しい。

以前からこの映像作家のファンであった(この人そもそも映像作家なのです)。
寺山修司の映画「草迷宮」で美術をやっていた人?であり、寺山的・賢治的でもあるようなリリカルな世界を8ミリや16 ミリにて展開させている。
初めてその作品をみたのはいつだったか、確か高校2年生の時、1990年くらいだったか、池袋西武の中に当時あったスタジオ200というミニシアターでの日本実験映像◎年史とかいうような特集だったように思う。そこで初めて寺山の「檻囚」を見、山田勇男作品を見、その他にも「キネカリグラフ」とか1950年代の実験映画などを見た。
それからこの作家を気にし出すようになり、大学時代、ちょうど渋谷のユーロスペースで封切られた「アンモナイトのささやきを聞いた」を見に行った。その後、友人から借りたヴィデオで他の短篇なども見たり。

今日はこれから映画上映イベントもあるということだったが、惜しいかな、今晩はこの後も予定があるので、早々にギャラリーを後にして、一路早稲田へ。

早稲田駅近くのスペース早稲田というところで(今回初めて知ったのだが、ここは流山児☆事務所の持ち小屋という)、ユッキーの「綾の鼓」「道成寺」をやるのである。
流山児の三島……これはどういうものになるのか、と。

流山児☆事務所は、何度か見ている。流山児が監督した映画「血風ロック」なども高校の時にみており、1990年前後、下丸子演劇フェスタ、とか、あと、舞台にバイクが出てくる……現代版桜姫東文章?とか、本多劇場でやった「ザ・寺山」、これは没後十年だから93年だが、そういうのを見ている。でも考えてみれば、それ以来行ってないような。ということは15年ぶりか。今でも「悪魔のいるクリスマス」とか続けて上演されたりしているのだろうか。

で、舞台の感想だが、意外に、といったら失礼だが、素直に面白かった。久々に小劇場演劇の楽しさを堪能したと思う。テンポもよく、意外な工夫もある。装置らしい装置もない小さな舞台でいろいろと見せてくれる。
やはり近代能楽集は小劇場向けだと再認識。
終演後に演出家が舞台に出てきて云っていたが、確かにこんな演出の近代能楽集は見たことがない。一昨年だったか、同じ早稲田の他の劇場でMMMという団体がやっていた「葵上」もかなり斬新な舞台だったが、これはまた違った意味で新鮮な楽しい体験であった。
ちょっと説明的な台詞は全部ミュージカルみたいな歌にしちゃう、とか、男性役女性役それぞれ全部逆にしたりとか。特に「綾の鼓」。ただし「道成寺」は、元々の戯曲もかなりの曲者と思われ、個人的にはこの演出での「班女」や「卒塔婆小町」を期待したい。

しかし、プロローグとエピローグが、ちょっと……という気もしないでもない。舞台が始まると俳優群がしゃべり出すのは、何と三島と寺山の、当時「潮」に載った対談。舞台は必然が支配するというユッキーに対し、偶然をと返す寺山。するとお次はいきなり「サド侯」の、思い出は琥珀の中に閉じこめられた虫という例の台詞を全員で。ここまではいい。しかしお次はいきなり辞世を皆で叫ぶという……エピローグでも辞世を叫び、倭文重が「倅・三島由紀夫」で語っていた、この子はやりたいことをはじめてやったんです云々という言葉すら台詞にあった。

蜷川は近代能楽集だのにラストで最期の演説のテープ流すし、流山児は辞世の句を叫ばせる。

だーかーらー、近代能楽集は近代能楽集であって三島の自決とは関係ないってのに……何が何でも三島といえばアレに結びつけちゃうこのマインド。見る方としてはそろそろご勘弁願いたいと思っている。やっぱりこれは演出家の世代なんだろか。