漁書日誌 3.0

はてなダイアリー廃止(201901)を受けてはてなブログに移設しました。

今週末の怒濤

金曜日。
神保町の古書会館ではぐろりや会古書展、五反田の南部古書会館では散歩展が初日を迎えていた。昼過ぎの列車に乗るために、神保町は諦めて五反田に向かう。家を出たのが遅かったためもあり、チラッと一周しただけであったが、散歩展の会場は「書物展望」1冊200円てのがゴロゴロしていたり、黒っぽい本も多くてじっくり見て行けば面白いものがもっとあったかもしれない。散歩展、まずは1階を見てから、2階の会場へ。買ったのは以下。


和気律次郎編著「死刑囚の手記」(玄文社)大正8年5月1日裸本300円
大岡昇平訳「クラクラの日記」(人文書院)昭和31年6月30日初版カバ帯500円
山下肇「大学の青春・駒場」(光文社カッパブックス)昭和31年5月5日初版カバ200円
松尾邦之助「近代個人主義とは何か」(黒色戦線社)200円
週刊現代三島由紀夫緊急特集号200円
「週刊サンケイ」総集版三島由紀夫のすべて200円
週刊誌と松尾邦之助の復刊は1階で。週刊誌はとう所持しているが、これは新品のようにキレイだったので予備に。松尾のは昭和37年に刊行されたアン・リネル論の復刊。ベッケルの「クラクラの日記」は大岡昇平訳となっているが、前々から生田耕作訳(下訳?)といわれているもの(生前の生田かをる氏がそう言っていた)。「死刑囚の手記」というのは全く知らない本。まあ安いからと買ってみた。玄文社からこういう本も出ていたのか。和気は、確か明治末年にワイルドの翻訳出していた人物。大正3年に殺人などで死刑執行された上杉恵津郎が、明治44年に逮捕、死刑判決を申し渡されてからの手記がまとめてある。
注文品はなく、ザッとまわって新宿に向かう。というのも、泊まりがけで山中湖の三島由紀夫文学館へ行くからである。
****************************
土曜日。
第12回三島由紀夫文学館レイクサロン「三島由紀夫とスポーツ」10月22日@清渓
ゲストは玉利齊氏と山内由紀人氏。

玉利氏は昭和30年に三島に乞われてボディビルを直接指導した人であり、日本ボディビルの草分け的存在である。当時緑が丘の三島邸に通い、鉄工所で誂えた特製のバーベルセットで週2回のトレーニングがあったという。受講料は断ったが、毎回母堂による食事や銀座に食事に連れて行ってもらったり、たまにネクタイやらもらったという。約1年で基礎的なものが出来上がった三島は、今度は動きのあるものをやりたいと相談してきたので剣道をすすめたが、「そんな日本的なのは嫌だ」とボクシングをはじめたという。
また「鏡子の家」に出てくる武井のモデルですよねという質問には、たまたま東横線で一緒になった時に三島が筋肉自慢してくるので、逆立ちしたって自分にはかなわないよと言ったら三島が怒って、半分冗談で「今度の小説に悪く書いてやる」と。それが武井になったという。玉利氏の三島に言及した文章はだいたい読んでいたが、これは初耳で面白いエピソードであった。
ワタクシ実は今回ディスカッサントに参加と司会進行も仰せつかってもいたのである。
****************************
土曜日夜に帰宅してみると、先日の扶桑書房目録に注文していた本が届いていた。


太宰治「虚構の彷徨・ダス・ゲマイネ」(新潮社)昭和12年6月1日初版帯欠4800円
これである。太宰の本を収集しているというわけではないが、「晩年」元版とこの本はやっぱり持っていたかった。状態のよくないものでも1万円くらいするので逡巡していたが、ちょっと背に痛みがあるくらいのもので、今回扶桑目録にこの価格で見つけて注文した時に「ございます」といわれた時は嬉しかった。ようよう入手。
何故欲しいかというと、この口絵肖像である。口絵というか、正確には扉なのだが、この写真は印象的だ。ちょっとニヘラとしたような表情。著者肖像のイメージは、やはり作品受容にも関係するわけで、作者のイメージ生成と作品受容の有機的関係というワタクシの個人的探究テーマとしてはこの本はマストだったのである。
****************************
日曜日。
今日は三島の近代能楽集のなかの「道成寺」をやるというので埼玉県蕨市まで。今回初めて行くゲッコーパレードという劇団での上演なのだが、なんでも劇場ではなく一般住宅での上演で定員15名限定なのだという。ネットで知って予約していた。で、会場に向かったわけだが、駅から徒歩12分、住宅街のなかの築40年くらいの普通の家である。関係者の元住宅なのか荷物などはあるが、生活感がない。撮影飲食退場自由という。各部屋の襖は取り払われているが、普通にちゃぶ台があり、飲み物とお茶菓子がある。上演時間になると「劇団びんがらす」ですと5名の男女がやってきて、お茶の間のちゃぶ台をどかしリノリウムをひき、音響セットや照明をセットしはじめる。ああそうか、訪問劇団みたいのが来て、劇空間づくりから見せていくというメタものか、と、他の客に混じって見ている。サクサク作業は進むが、いい加減ホントにこのままかという開始30分くらいになって、稽古だとして歌を歌いながら即興?かのようなパペットの芝居を始める。あとからわかったが、これが併演の宮沢賢治作「飢餓陣営」であった。中座したり、途中演出家という女性が来て稽古だと改めて始めたり、iPhoneからBGM流したりする。この感じで「道成寺」もやるのか、と思っていた矢先、「飢餓陣営」(未読なので本当にラストまでやったのかわからない)は終わり、食と生産についてのレポートします、と、各部屋のモニタや投影機によって各俳優が畑やら納豆工場を訪ねたレポートとかを映像プレゼンする。賢治の寓話的作品からの流れで、マルクス主義系のなんちゃらで生産現場が…とかやり始めるのかと思いきや、もっと簡便なもので、まるで旅行の写真を見せられているような感じでもあった。その間も隣室では照明などの用意とあたりなどが進行。とかしているうちに、準備が出来たということで、開始から1時間で座布団の座席に着席。ここで初めてプログラムやアンケート用紙を渡される。小さな舞台の中に人形が置かれそれを黒衣が手で動かし台詞を言うという形での「道成寺」がスタート。

こちらは先ほどの賢治とは打って変わってビシッとした演技となる。ただし主人役だけは実際の俳優が人形舞台の脇に立って演じる。セリのあと主人と清子の「3千円たら3千円」のところなどは、清子役は実際の俳優が出て来て演じる(この役だけはク・ナウカ方式で黒衣が台詞)。その後の管理人役も実際の俳優が出て来て、人形劇と実際の俳優とを組み合わせながらテンポ良く進行。清子が箪笥に閉じこもる時は、人形舞台を解体して広げ大きな扉に見立てたり、手作り感満載なのだが、悪くはなかった。人形なんかなかなかセンスのよい作りだし、ごく狭い場であるのにちょっとした演出の工夫があったり。実際新劇的にやってしまうと清子のいう「自然」の論理がよくわからず「道成寺」って本当は難物戯曲だと思うのだが、人形劇という「飛躍」を加えることである種の完成へと持って行ったように思う。
そして終演。普通に電気がついて、終わりです、と。……渡されたプログラムにも(ダミーの?)劇団びんがらす表記のものがあった。これで終わりって、最初のメタ設定はどうなったのだろう。あれに対する対処はなしなのか。なんというか、このままでは尻切れトンボというか、いわば前半のメタ的なものと後半の上演とバランスが取れないような未燃焼感が残った。終わってばらしをはじめて、観客ほっぽり出してその場で打ち上げでもして、いつ終わったのか、劇と現実の境目が曖昧になっていく、みたいなのならまだわかるのだが。それとも前半は、この手作り感というか個人宅での集まりのような空気に観客を馴染ませるマッサージの役割であったのだろうか。前半のあたかも学生サークルみたいなノリから後半のビシッとした感じの落差というのも計算済みなのかもしれない。妙なアングラ臭みたいなものもなく、風変わりな芝居であった。
****************************
これは今日届いたマケプレでの買い物と、芝居を観に行った先でたまたま見つけた古本屋で買ったもの。

坊城俊民「末裔」(草美社)昭和24年2月20日初版カバ欠720円
朝倉克己「近江絹糸「人権争議」の真実」(サンライズ出版)カバ295円
「末裔」はカバ欠献呈署名入というのを大分前に買って、それ以来だがこちらの方がコンディションがよい。跋文を三島由紀夫が書いている。後者は、三島の「絹と明察」の資料として。著者は、講談社大阪支社から連絡を受けて、三島の取材案内をした人。三島からの書簡などもある(決定版全集未収録だが、「三島由紀夫研究」に書いている「逸文目録稿」に活字化情報を書いておいたのでご興味ある向きは参照されたい)。