漁書日誌 3.0

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素顔を手に

扶桑書房目録が届いた。いつも突然であり、ここは先着順でもあるので届くともう焦る焦る。どうしようかな、などと呑気に考えてはいられない。そう考えている間にタッチの差で売れてしまうかも知れないからだ。しかも今回、もう何年も欲しいなあと探しており、しかし高いとかそういう以前にぜんぜん目録やら店頭やらで見かけたことのなかった本が出ていて俄然ヒートアップ、慌てふためきながら注文し、届いたのが以下の二冊。

小栗風葉「天才 前編」(隆文館)明治41年3月15日初版12000円
後藤末雄「素顔」(濱口書店)大正3年2月25日初版凾付18000円
長年の探求書というのが後藤末雄の小説集「素顔」である。今回の目録では、二冊ある後藤末雄の小説集の二冊ともが掲載されていたが、資金的にもう一冊である「桐屋」(植竹書院:文明叢書)は断念(こちらも18000円。といって既に売れていたかもしれないが)。
「素顔」凾と表紙
「素顔」はもう何年も前から欲しかったもので、この本に入っている小説のいくたりかは明治文学全集(反自然主義2)に入っていて、今まではそれを読んで渇を癒していたのだが、明治文学全集が初出テキストなのに対しこちらはかなり推敲したテキストだというし、いやしかし今回めでたく入手となったので、とにかく我が手に持ってなで回し秋の夜長にじっくり読んでみたいとニヤついている。古書として出ているのを見たこともないので古書相場がどのくらいのものなのかもわからないが、美本であり嬉しい。表紙および扉の木版が誰の手になるものか、(ネット上の古書目録の記述で)橋口五葉ともいわれておりそう言われれば確かにそういう気もするが、でもどこか五葉独自のシャープな線がなく、この木訥とした感じは違うような気もする。ただ凾が本体のサイズとズレていて少々上が大きいといういい加減な作りなのが謎。戦前のものではたまにあるが。後藤が創作をやめてしまったのはやっぱり赤木桁平にやっつけられたのがきっかけだったのかしらとも思うが、どうにもワタクシにはこういうマイナーポエットの作を(出来不出来にかかわらず)好む性向があるようだ。そういえば、夭折した大貫晶川にも確か私家版で小説集があったような曖昧な記憶があるが、いまとなってはそれを何で読んで知ったのかも忘れてしまった。
それからもう一点は「天才」。岡田三郎助の油絵をカラー印刷し貼付した口絵(ただし表紙の装幀は岡田ではないようで「羽」のサインがある)。これは未完の作で前編しかない上に、単行本の後半三分の一は生田長江真山青果の風葉論が附録として収録されているもの。当時の芸術家=天才というような観念を知りたいという興味もあったが、硯友社流である風葉がどう時代の流行である自然主義にあわせようとして失敗したか如実にあらわれており、しかも未完作であるのに風葉論まで入れる力の入れよう等々そういういろんな意味で欲しいなと前から思っていた一本。「素顔」のような珍らかな本ではないがそれでも相場からすれば入手しやすい価格。外装はあるのかないのか知らない。
よしいったれ、と、買ってしまったが、しかしまあこれで当分金欠戒厳令ですよ。給料日までケチケチ貧窮問答歌
追記。

「素顔」の新刊広告。ここに、装幀は藤井達吉とあるのを発見。橋口五葉ではなく、藤井達吉であった。