漁書日誌 3.0

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新大久保のサド侯

アトリエダンカンプロデュース「サド侯爵夫人」@東京グローブ座
http://www.duncan.co.jp/web/stage/sade/
本日、土曜日夜に赴いた。
プログラム1200円、篠井英介サイン入りポスター1000円だが、両者セットは2000円。これ買ってしまう。

肝心の芝居だが、さすがに面白く8000円の価値は十分にある。ただし、たとえば革命の鬨の声とか、効果音一切要らないのではないか。パンフの中の対談でも、これは科白が音楽だというようなこといっていたのに。しかしまあこれは気にならない程度である。
いやしかし全体的にはサスガに、特に篠井と加納の、時に機関銃のような科白は見事であった。機関銃といっても、例えば紅テントみたいにもう何言ってるか分からないというのではなく、キッチリ演技を付けながら通る声で科白をさばいていく、という感じ。それから随所随所に歌舞伎を意識した演出が見られるのも不自然さがなく新鮮で、却って新たな発見でもあった。
しかし瑕瑾もないわけではない。あの膨大な科白、やはり全幕通して一、二度くらいはとちるものである。篠井が一度とちったが別に気にはならない。が、サン・フォン、六回はとちっていた。俳優としてはどんどんと焦ってしまうのであろう。とちったことは仕方がない。それは問題ない。しかし問題は、見ている側に懸念を生じさせてしまうので、そうなると、ここは見せ場の決め科白っていうところ、例えば二幕のラストのサン・フォンの決め科白「アルフォンスは私だったのです」に至る科白のところとか、見ていて、その歌い上げるような科白廻しに気持ちよく酔わせてくれず、「ああそろそろ決め科白だ、頼むよ、頼むからこの箇所だけはとちるなよ」と劇世界とは別の次元で、ハラハラしてしまう。興醒めだ。

しかしグローブ座、久しぶりである。
最初に来たのが1991年だったかの演劇実験室◎万有引力の「奴婢訓」、それからロマンチカの「真夏の夜の夢」、1994年くらいのパパ・タタフマラの公演も見に来た。しかし、実はそれ以来行ってないかもしれない。