漁書日誌 3.0

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台風前の古書展そして色紙の話

金曜日、五反田の本の散歩展と神保町のぐろりや会展と2つが初日。時間的に二つ回るのは無理と判断して五反田に向かう。17時10分頃に五反田の会場到着。まずはゆっくり1階のガレージを見る。五反田は1階も面白い。今回は日劇ミュージックホールのパンフが10冊くらいあって、グラビア1頁切り取りありというので200円だった。見ると昭和30年代のも混じっており、谷崎潤一郎原作「白日夢」のもあったので確保。
2階もなかなかよかったが、もう少し時間があれば。あれもこれもと思ったが、ケチケチして3点のみ。ということで、今回購入したものは以下。

倉田卓次「裁判官の書斎」(勁草書房)カバ帯200円
倉田卓次「続裁判官の書斎」(勁草書房)カバ帯200円
牧野信一「バラルダ物語」(福武文庫)カバ300円
倉田卓次はもちろん、「家畜人ヤプー」の作者といわれている人。裁判官だが猛烈な読書量で文学的センスもよく、誤訳の指摘からSF小説論、漱石「猫」本文の実証的検証からいろいろ入っていて、正続2冊をいつか安くと思っていたので嬉しい。

日劇MHパンフ「白日夢」切取あり200円
法政大学劇研パンフ「名前を刻まぬ墓場」200円
谷崎潤一郎複製色紙「落花流水」(中央公論社)たとう500円
谷崎原作「白日夢」のパンフは、実は前に買って持っている。が、200円なんて値段で出たら買わずにはいられないだろう。今回の決定版全集には入っただろうが、このパンフには谷崎の単行本未収録談話が掲載されている。巻頭に入っている春川ますみのカラーグラビアが一枚欠なのでこの値段。それから法大劇研のパンフは学生劇団のものとは思われぬ豪華さで、石原慎太郎の戯曲「名前を刻まぬ墓場」を中野公会堂で昭和39年6月24〜25日に上演した際のもの。昭和30年代、慎太郎の戯曲は小さい劇団などでもけっこう上演されていたと思うのだが、慎太郎作品の上演史をキチンとまとめている研究者なんていないのだろうなあ。確か、毒蝮三太夫がいた劇団で「太陽の季節」を脚色上演していなかったか。
それはそうと色紙。今回、たとうの題箋に中央公論社とある「落花流水」の色紙を買ったが、実はこれと全く同じ体裁の複製色紙「我といふ人の心はたゝひとりわれより外に知る人はなし」を持っている。

また、これとは別に、昭和36年染筆で森田紀三郎蔵「長春」と昭和30年染筆「夢」渡辺重子蔵の2枚のセットでたとうには版元の明記なくただ「谷崎潤一郎書」とある複製色紙を持っている。後者はいつどこで買ったか覚えていないが、前者は確か青展で八木書店でデッドストックだかが出ていたのを買ったような気がする。こういった複製色紙、複製原稿なんかはお土産品扱いで、文学受容の一要素として考えるなんて人はいないのだろうなあ。まあ実際グッズとして文学館などで売っているし。肉筆をありがたがる文化って(特に額装したり床の間にかけたり)、ごく一部の人気作家の署名本くらいしか残っていないか。その人気作家が実際にその本に触った、肉筆を入れたというところに価値があるのであろうが、しかし明治期の本など見ると、本文は活版で序文は先輩格の作家の筆跡を木版で入れたりしている。直筆というアウラよりも、筆跡=文は人なり的な「筆跡肖像」的とでもいうべき価値があったと思う。それが作家の揮毫の価値ではなかったか。少なくとも明治から大正にかけての文学場では筆跡=人格の文学的信仰が行われていたのであり、そういう角度から作家権威の価値化と流通といったことについて考えてみたいものだ。


ちなみに三島由紀夫の場合は、ちゃんと色紙として複製しているものに、京都の出版社から10年くらい前に出た「憂国」、ある文学全集の予約特典で頒布された「只書を読んで栄ゆるを見る…」と、LPレコード「天と海」コロムビア版見本にのみ添付された「責務」の3種類を確認している。