漁書日誌 3.0

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曇天鏡花漱石

ポツポツと雨の降ったり止んだりの曇天の土曜。
新宿の紀伊國屋に向かう。今日から紀伊國屋フォーラムで開催される「「天守物語」成立100年記念特別展 宇野亞喜良 × 山本タカト」に行って来た。

予め、今回出版された山本タカト宇野亜喜良の挿絵装幀版の「天守物語」特装版というのを予約していたので、それを取りに行ったのである。本は、右開きの日本文が山本タカト挿絵、左開きの英訳版が宇野亜喜良挿絵となっており、貼凾入りで三方朱染になっている。
で、会場にて商品受取り、会場の作品を見て回る。


泉鏡花天守物語」(パンエキゾチカ)限定600部記番挿絵画家署名入5400円
その後、踵を返して神保町へ。扶桑事務所へ向かう。
今日も賑やかであったが、猫がいたので確保。

夏目漱石吾輩は猫である」(大倉書店)明治39年11月10日8版カバ欠背補修汚2500円
猫の上編は既に1冊所持しているのだが、それは9版。何が違うかというと、8版までは「上編」の文字がない。9版以降にそれが入るというもの。今まで知らなかった。ということで、思わず買ってしまう。
比較してみると、明瞭。表紙は同じだが扉や背表紙が異なる。右側が9版、左が8版。「猫」はもともと第1回で終わる筈だったのが好評を得て続くことになり、結局は全三巻で刊行されたわけだが、作者もはなからこんな長篇になるとは思っていなかったであろう。


余談だが、今回の8版を手にして、紙の束をカルトンで挟んだような装幀だなと思ったことであった。所持していた9版が表紙から本文用紙がそれほど飛び出していないのはカットされたためなのかどうか。いわゆる上製本というと、厚表紙でガッチリ本文の束をカバーしているような印象だが、この本に限っては、表紙がそれほど厚くなく、本文用紙よりも表紙サイズが小さいためにそういう印象が強いのであろう。しかし本来、装幀というより装釘ってこういうものかもしれない。まず核となる本文用紙の束、そして表紙。その意味でも、この時代に(ヨーロッパ本の影響大だろうが)橋口五葉のやったこの装幀は、装幀とは何ぞやということをいろいろと改めて考えさせてくれるものであった。