漁書日誌 3.0

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五反田雑本党

昨日赴いた和洋会では、会場で新書1冊購入するきりであって、本当は五反田に立ち寄ってからと思っていた予定がバスの遅れで不可能になり大きなトートバッグを持って来たのが雨の中荷物で邪魔であった。五反田用のトートだったのである。
で、今日。満を持して五反田遊古会最終日に赴く。やっぱり五反田、雑本の山が面白い。雑本でそれなりの値段で、こう漁って面白いものはないかとガサゴソするのが面白い。大した本などはないし、高くても300円以下で漁るのだが、高額でピョイと初版本など買うようなのとは別に、ゴチャゴチャ漁って自分なりの掘り出しをするのが楽しいのである。そういう古書漁りの醍醐味は、やはり五反田に尽きる。で、ごっそり買ったのに今日は昨日と違って大型トートではなく普通のショルダーで来てしまい、白ビニール袋ぶら下げて帰るはめに。

16時20分頃会場到着。まずは一階のガレージを20分くらいかけてあれこれ漁る。結局、集めている雑誌の欠号を買ったのみ。オール200円。

「批評」の復刊と「映画評論」である。三島由紀夫が同人だった「批評」は昭和45年3月刊の19号が最終号。これで全揃いには残り1冊。12号は三島由紀夫単独編集のデカダンス特集号。これは既に持っているが予備として購入。それから「映画評論」は60年代後半から70年代半ばまで200円以下なら買うようにしているもの。
そしてお次は、2階。注文品はない。

山田孝三郎「芥川文学事典」(岡倉書房新社)昭和28年1月20日300円
志賀信夫「テレビ社会史」(誠文堂新光社)帯ビニカバ200円
ゲルナー「民族とナショナリズム」(岩波書店)カバ帯500円
田中伸尚「靖国の戦後史」(岩波新書)100円
山田孝三郎とは、「夢を孕む女」などの著作がある山田一夫のこと。この本はよく見かけるが、ケチケチして500円以下じゃないと買わないと決めていたのである。この岡倉書房新社って、あの岡倉書房の後継会社かなと思ったら、やはりそうであるようだ。奥付の検印紙のデザインがスフィンクス。戦後に新社となって残っていたとは。
「テレビ社会史」は、よくある戦後メディア史みたいなものだが、CM事件エピソードや昭和44年当時のテレビドラマ演出テクニック紹介などちょっと面白い目次。ゲルナーナショナリズム論はお勉強用。雑本党などといっておきながら、大して雑本買っていないなあ。
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三条会公演「熱帯樹」三島由紀夫作、関美能留演出。9月24〜27日@ザ・スズナリ。金曜日、和洋会を覗いたあと、ふと思い出してスマホで検索するとギリギリ間に合う時間帯。ということで半蔵門線で神保町より渋谷に出て京王線乗り換えで下北沢。雨の中駅からダッシュスズナリに向かって、18時57分にスズナリ到着。三条会の公演に来るのも実は久しぶりである。千葉を拠点にした劇団で、三島作品も多く手がけているが、発声法というか身体使いがちょっと独特で面白い。こまばアゴラでの公演に行って以来数年ぶりだと思う。また、「熱帯樹」という演目も何年ぶりであろうか。もう8年くらい前になるか、目白の和敬塾ク・ナウカが上演したのを見に行って以来だと思う。
お客は7分入りくらいだったか。舞台はベニヤの床に裸の平台1台、脚立2台があるきりのシンプルなもの。小鳥は着ぐるみ。これはどういう風に料理するのだと思っていると、郁子役が衣裳を脱ぎ初め、肉襦袢。全裸の体で、他の登場人物も同じく肉襦袢で全裸のつもりであり、局部などを隠すそぶり。それから、従来の上演ではほとんど小道具扱いの小鳥を着ぐるみとして可視化したのもちょっと意外な効果がある。
肉襦袢の全裸の体で、烈しくセリフをまくし立て、合間にペットボトルの水をゴクゴク飲む。肉体と汗と激烈な勢いのセリフ発声。そこにフィリップ・グラスによる映画MISHIMAのサントラなんかをBGMで流すものだから、元々ある種の肉体派という印象の演技なのだが、それが筋肉と汗みたいなそういうイメージについつい集結されてしまって、既存のステレオタイプな三島イメージと重なりちょっと残念。それじゃテクストの読みじゃなくって、単なる世間のイメージの流用。
戯曲のセリフは一つとして端折ってないと思うが、中頃から、心理説明とかストーリーの流れの説明的セリフはすべて猛烈な早口でまくし立てるようになっていく。これなんかもあのセリフ量をあんなに早口でよくもまあというくらい技術的鍛錬が必要であったろうと思うし、ドラマを3倍速で見ているようなふしぎな感覚で面白いのではあるが、逆にどういうドラマの進行なのかぜんぜんわからなくなる。戯曲は読んで筋は知っているが、それが全てセリフで消化されているにもかかわらず、目の前の俳優同士のドラマ自体がないものだから、眠くなる。だからそういうメタの操作っていうか、演出の批評性が先行して観客が置いてけぼりになってしまったような感じで、すごい技術だなと感心する反面、つらいだけであった。戯曲未読の人は、ストーリーわかっただろうか。それでも、肉体を酷使したような独特の演出は、十分にこの戯曲の妙な濃さを消化出来ていたとは思う。25日所見。