漁書日誌 3.0

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殻とか邯鄲とか

前回のエントリにも書いたけれども、金曜日の深夜に帰宅してみると、扶桑書房目録速報が届いていたのであった。まさか今日とは……先着順だしこの時間じゃと諦め半分で真夜中にファクスを入れた。で、月曜日である。3点注文したうちの1点が届いていた。他2点は既に売り切れ。それが以下。


中村古峡「殻」(春陽堂大正2年4月18日発行凾欠5000円
写真は、表紙と扉の木版。装幀は名取春仙。中村古峡私小説である。この辺の詳しいことは既に「「変態心理」と中村古峡」(不二出版)とかで曾根博義先生によってまとめられている。凾まではいらないとしても、凾欠で15000円くらいする本だったが5000円以下で欲しかったのである。届いた本は、全体的に多少褪色しているが、これという痛みもなく満足。扉の発色が鮮やかだけれども、扉から序文までの頁のみアート紙で、本文用紙とは異なっている。この本には後版もあるのだが、後版は装幀もつまらない並製本だし、こちらの元版を探していたというわけである。しかし、表紙はヒンズー教で扉はお稲荷さんということなんだろうか、メチャクチャである。
実は今回の目録ではそれよりも是非入手したい本があったのだが、それは書かないでおく。

リード「彫刻とはなにか」(日貿出版社)新装版カバ1000円
西川祐子「日記をつづるということ」(吉川弘文館)カバ2000円
岩城見一「感性論 エステティックス」(昭和堂)カバ4980円
ドゥギー編「崇高とは何か」(法政大学出版局)カバ1850円
先週ヤフオクだのマケプレだのネット古書店だので注文して購入したお勉強用の本。「感性論」は3千円台で欲しかったのだが、仕方ないか。しかしまあ、ケチなのにけっこう出費している。嗚呼。上記扶桑目録、3点全部当たっていたら懐具合かなりきつかったかもしれない。

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世amI公演「邯鄲」@新宿タイニイアリス2014年3月14〜16日
三島由紀夫作/金世一演出
最終日である日曜日のマチネに行ってきた。「邯鄲」は、今まで二度しか見たことがない。一度が結城座のもので人形劇、もうひとつはどこだか忘れたが、戯曲自体は読んでみて簡単そうだが実際舞台に乗せるとなると難しいなあという印象。だから人間ではなく人形を使った結城座がいちばんまっとうな舞台だったなあと思っていたのだが、今回の「邯鄲」は掛け値無しに面白く堪能した。上演前に演出家が挨拶のなかで、18歳の主人公・次郎を意図して70歳の俳優にやらせたこと、それから芝居本来の遊びの要素を盛り込んだ由述べていたのだが、70歳の俳優の件は舞台に没入して見ているとあまり関係ないような(この方かなりマッチョで胸毛もありいかにも老人という感じがしない、70という前提があるためにたどたどしいところも大目に見ないとなあと見てしまうのもある)。
現実の乳母の世界と邯鄲の夢の世界のコントラストもキッチリ鮮やかで、夢の世界のおもちゃ箱をひっくり返したような、全員が人形のような人工物感(キッチュな軽さとテンポ)が、例えば瞼に眼を描いているところや人形づりのような動きなどもあり、強調されていて、その寓話性とでもいうべき異世界感を担保した上で、それが妙に不自然な感じにならない。とりわけラストの庭に花が咲いた後、背景を白一色の幕で覆い、夢の中の登場人物が皆次郎と乳母のまわりに集まって大きく呼吸をしてその呼吸の音で幕切れという演出は、あの呼吸自体が庭の花が大挙して萌え出る感じを有機的にあらわしていて、大量の造花を並べたり客席を庭と見立てて指さすといったクリシェを超えるものであったように思う。