漁書日誌 3.0

はてなダイアリー廃止(201901)を受けてはてなブログに移設しました。

地球空洞説など

今日は神保町の和洋会と五反田の遊古会とまわってから、夕方に池袋で芝居を…などと考えていたのであるが、実際は寝過ごし、古書を吹っ飛ばしてそのまま芝居の会場に行かないと間に合わないという感じになってしまった。
ということで、流山児☆事務所公演「地球☆空洞説」寺山修司作@豊島公会堂を見てきた。
17時開演だが、公会堂向かいの中池袋公園に16時50分集合だという。元々「地球空洞説」初演(昭48)は野外劇だし、なんかやらかしてくれるかなと思っていた。16時50分、公衆便所の前に人だかりが出来ていたので駆けつけ見ると、なにか寸劇的なものがはじまり、公衆便所の屋根に登った流山児祥と、どこからか歩いてきて屋根に登った大久保鷹がこれからはじまります云々口上をしゃべり、なにか歌を歌い始めた。あれれこの歌聞いたことがあるぞ…記憶が確かならばこれは「ジョン・シルバーの唄」ではないか(無論リアルじゃ知らないが映画「新宿泥棒日記」劇中で出てくる)。寺山の芝居で唐の唄か。まあ呼び込みの口上披露という感じ。

その後、入場して下さいということでぞろぞろと公会堂に入場。豊島公会堂。古い。ここに来たのは、だいぶ前に右翼街宣車や機動隊に囲まれたなか上映された渡辺文樹の映画「腹腹時計」を観に来て以来だと思う。
で、芝居だが、総勢50名くらい登場していたか、とにかく人数が多い。多い人数をうまくさばけていてテンポもよく外連味もあって、ミュージカルというかいわばショーとして面白く堪能。あの大人数がシーザーのオリジナルを大合唱したりするのだから。
話自体は(といっても演出の天野天街、流山児祥、村井雄による構成だが)、大体寺山の戯曲はすべてそうなのだが、基本モチーフに肉付けされるすべての断片がいつかどこかで見たようなものばかりなのである。元は昭和48年の作品だが、翌年の映画「田園に死す」で使われた空気女とか母恋いエピソードやらもう少し後の「阿呆船」みたいな穴のエピソード、昭和46年の「邪宗門」ラストみたいな屋台崩し、もっと過去では「犬神」での家族合わせ的な家族の入れ替えエピソードを出すやらなにやら、それで今回の基本モチーフであるところの、ある日銭湯から帰ってみたら家が消えていたとか、他人に夢見られた存在となってしまったとかいうようなものも、これすべて晩年の「レミング」のモチーフだし、結局寺山作品って通時的に見ると他者作品のリミックスを含んだ自作エピソード焼き直しの生成発展の過程みたいなものだし、またそれが戯曲に限らない寺山作品の特徴と思っている。まあ今回はどんどん増殖する他者みたいなのとかちょっと安部公房チックではあったけれども。しかし特筆するべきは舞台下手手前に生バンドを組んでいたことか。それも生バンドでJ.A.シーザー曲を合唱。これも、あの情念演歌ロックみたいなのは今回の基本モチーフにマッチしないんではないかと思ったけれども、そこはあれこれアレンジされており、例えば「和讃」も英語歌詞の「オルフェヒロシマ」となっていた。舞台装置は豊島公会堂ファサードの(写真?)垂れ幕。ラストではアジりはしないけれども、これが「邪宗門」みたいに屋台崩しになる。舞台装置がその劇場のファサードというのは、そういえば、同じ流山児でスズナリでやった天野演出「田園に死す」の時もそうであった。あの時も思ったことだが、天野演出は、ある短いシーンのミニマリズムみたいのが実はけっこうしつこくてうんざりするとことがある。でまあ、終演。
そういえば、ちょうど銭湯のシーンで、男優陣がすべて全裸でケロリン桶ひとつで裸踊りをする場面があった。その時である、あれっと思ったらかなりの揺れ。地震である。けっこう大きい。ワタクシは、昨年3月11日も同じように宝塚劇場で観劇中に地震遭遇しているので、おやおやと思ったことであった。
さて、終演後19時、既に古書展は終わっているし、どうしようか考え、うっかりと荻窪に向かってしまう。運の尽きだ。ささま書店。ここであれこれと買ってしまい散財。

ハルトマン「ドイツ観念論の哲学」(作品社)カバ帯3150円
大林信治他編「視覚と近代」(名古屋大学出版会)カバ帯840円
永井均「道徳は復讐である」(河出文庫)315円
リオタール「こどもたちに語るポストモダン」(ちくま学芸文庫)420円
ソンタグ「反解釈」(ちくま学芸文庫)840円
色川武大狂人日記」(福武文庫)210円
須貝正義「大佛次郎と『苦楽』の時代」(紅書房)カバ900円
最後の一冊は別にネット古書店で注文したものだが、他は今日買ってしまったもの。ハルトマンは3千円まででちょっと探していたので行ってしまったが、ちょいとキツイ。神保町に行かなかったのにかなりの散財をしてしまった。