漁書日誌 3.0

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土曜日、神保町15時42分

今日は暖かい。やはりマフラーすら持参しなかったのは正解であった。13時27分。起床。寝坊。そして結局、本日の神保町行き主目的たる映画には間に合わず。
現在、神保町シアターにて開催中の「東宝芸映画の世界」にて、これはと前々から思っていた「現代の欲望」(丸山誠治監督、1956)を観るつもりであったのである。寝坊のせいで間に合わず。あと30分早ければとも思うが、仕方がない。この映画、山崎晃嗣光クラブをある程度モデルにした映画だと、先日読んだ池部良「心残りは……」(文春文庫)で知った。光クラブを追っかけているものとしては、やはり要チェックである。光クラブといえば、先日CS放送で観た成瀬巳喜男の「怒りの街」(1950)も(これは丹羽文雄原作だが)、学帽学ランでアプレ青年演じる宇野重吉の台詞で「光クラブの社長は現代の英雄だよ」なんていうのがあった。いやしかし、ガックリ。なんだかよく眠れずかなり寝不足の所を急いできたのに間に合わない。そのまま神保町に放り出される恰好になったわけだが、しかしまあ、そうなったら、あとは、古書展もない今日はゆっくり古書店でも流すか、と、まずは三茶書房。
伊藤秀雄黒岩涙香—探偵小説の元祖」(三一書房)1100円
まずはこれを購入してしまう。この本ね、皆さん御存知と思いますけど、昨年だったか、一昨年だったか、どっさりと三一書房のゾッキが出ましたよね。それで出たやつ。どこ行っても2000円とかで並んでいたもんですが、おそらくこれが今まで見た中で最安値。しかも、凾の底にゾッキ印の赤マジックのチョンがない。ともかく、あとでチェックしたけれど全く新品そのものだし、安いし、まあケチりにケチって安く出るのを待っていてよかったというもの。さすがに千円以下じゃないだろうし。

でまあそれから、ザーッと通り沿いの店を流し、田村書店の外台を覗き、中を見て、それから久々に特価書籍にでも行ってみよう、と足を伸ばす。今日はカットソーにジャケット一枚で、歩いていると軽く汗ばむ程。二月なのにという感じもするが、しかしまた花粉もスゴイのだろうなあ、と。岩波ホールのところの信号を渡り、矢口なども覗いていく。途中、山陽堂書店にて、新刊として出たときにちょっと買おうと思ってそのままだった本を見つけ、値段に釣られて買ってしまう。
小西康陽「ぼくは散歩と雑学が好きだった 小西康陽のコラム1993-2008」(朝日新聞出版)2刷1100円
やっぱり植草甚一を意識したタイトル。息抜きに拾い読みするのに丁度よい。
で、日本特価書籍。いろいろと見る。大屋幸世「蒐書日誌」が四冊揃で3400円で出ていた。それと、これも昨年だったかゾッキでまた出たヴァレリーラルボー「秘めやかな心の声…」、ペトリュス・ボレル「シャンパベール」まだ綺麗なのが積んであった。でまあ、新刊書で何かないかと思ったら、何と、平凡社ライブラリの新刊を見て驚く。

改訳 形の生命 (平凡社ライブラリー)

改訳 形の生命 (平凡社ライブラリー)

え、ええー、という感じがした。というのも、だ、昨日、あんなにケチケチしたブログをアップして、そのすぐ翌日だったというのもある。これ、単行本が岩波書店から出ていて、以前探しに探してようよう入手した。その後、といっても購入後数日で、ちくま学芸文庫で新訳が出た。もうホントこれもガックリして、またまたケチケチと逡巡した挙げ句、新刊の在庫分はそろそろ帯付きを見かけないし、まあ単行本の方は古いしねという理由を無理矢理自分にして、新訳の文庫を買ったものである。それが、今度は単行本の方の訳が改訳ということで平凡社ライブラリ化。しかも、だ。後書きを立ち読むと、ちくま学芸で新訳が出たが、同じものでこうも違う翻訳になるのかと読者は楽しまれるのでは云々書いてあり、更にムムムと思った次第。もちろん、買いませんでしたが。
で、今度はいそいそと東京堂書店へ向かう。というのも、今日の主目的は映画であったけれども、実は第二の目的は、ある新刊書を買うことでもあったのです。その新刊書、定価が些か高く、もう二年近く古書で探しに探して全く見つからなかったもの。ということで、東京堂にてこの本を購入。
〈自己表象〉の文学史 自分を書く小説の登場

〈自己表象〉の文学史 自分を書く小説の登場

日比嘉高「〈自己表象〉の文学史」。この本、学生時代に図書館で借りて読んで、一部コピーして読んで、でもこれ定価けっこうするしなあと買わなかったのです。それがまあ、自分の興味対象がその後少し変化し、また仕事関係なんかでも、この辺は必須な感じがしてきましたので、単行本を買おうかな、と。しかしそれでもケチって古書で探していたのですが、これがもう、何だか知らないが全然古書を見かけない。特にこの二年間は猛烈に毎日「日本の古本屋」で検索していたんですが、全く梨の礫。まあそれはあとの話なんですが、ケチって古書で探していたら、なんと品切れになってしまい、定価でも買えなくなってしまったのです。まー、学会とか行くと出版社がブース作って売ってますが、直接出版元に聞けば在庫も期待出来るか、などと、昨年だったか、売り子の人に聞いたみたことがありました。が、絶版、全く在庫無しとけんもほろろの返答。やっぱりそもそも部数が少ないんだろうなあ、なんて思っていたのですよ。そうしたらですよ、昨年暮れに文献目録増補した2版が出たのです。おおと思いましたが、無論、それから三ヶ月以上も古書検索致しました。ここまでケチったのだから、ケチり倒すのがスジというものでしょう。しかし全くない。何故かこういう本は、往々にして出ると同時に少部数古書に流れるのですよ。献本分なのか知りませんが、今までもこうして新刊書を古書で買っていたのです。しかしまあ、出ない。ということで、もう仕方ない、ここらでカタを付けないと、読むべき時期を失してしまうということで、今日は勇んで定価購入に踏み切った、というわけ。いつも妙な本やらなにやらで軽くこの本の定価以上のものを買っている癖に、一体なんなんでしょうね。こないだこれの十倍以上の「薔薇刑」を買った癖に。でもこれで、明日「日本の古本屋」でヒットしたら、もうガックリして寝込みそうです。笑
さて、そんなこんなで神保町をあとにして、地元駅まで帰り着き、地元駅前の新刊書店にて昨日紹介した文庫を買いました。
パノフスキー「〈象徴形式〉としての遠近法」(ちくま学芸文庫
若林幹夫「増補 地図の想像力」(河出文庫
いやまあ東京堂で一緒に買えばよかったのですが、この地元の店で買いたかったのです。というのも、まあ、あまりこの辺ではちくま学芸文庫など買う人もいないようで、いつも新刊が一部ずつ入荷されるんですが、売れた形跡がない。ちくま文庫のスペースも何となく年々縮小されているようで、これで全然売れないと、ちくま学芸文庫自体の取り扱いがなくなってしまうのではないか、という危惧からなのです。事実、前には三十冊くらいは並んでいた平凡社ライブラリが、昨今の新書ブームの影響か、スペースを追われ、今では一応、一、二冊在庫が並ぶだけ、という悲惨な状況になってしまったのをこの目で見ているからなのでした。頼むよ、ちくま学芸やら平凡社ライブラリやらすら置いてない新刊書店など書店であって書店でないと思っているワタクシなのだから。