漁書日誌 3.0

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雨の和洋会

雨である。
雨の神保町、16時過ぎ。和洋会の会場。雨にもかかわらず、相変わらず盛況である。注文品はないし、今日はいつもより早めに来たので、じっくり会場を一周出来そうであった。でまあ、今日は入口近くのとこに出ていた、ふみくらの棚が個人的には好感触であった。まず抱えたのは谷崎潤一郎麒麟」(三星社)凾欠三版500円。谷崎の「麒麟」、この本は、袖珍だし活字の小ささからいっても、それまでの自選集的縮刷版的な意味合いのある単行本だと思うのだが、しかし、ワタクシはこの本、第三版しか所持していない。かつて一度だけ、田村書店で初版の羽二重装のものを見かけたことがあるが、まずいつも、そしてまずこれしか見かけないというのがこの第三版なのである。これ以降の重版も見たことすらない。で、こんな裸本、実は複数持っているし改めて買うものでもないのだが、しかし、今回手に取ったのは、実はこれが異装本であったからなのである。第三版は、背が青、平が白のクロス継表紙装だが、今日のこの本は、本来白の表紙の色が濃いオリーブ色であった。その他、黒っぽい本ばかりであったが、おそらく午前中来ていたらもうちょっと拾いたいものがあったかもしれない。
その他もザーッとみていく。他には、安く探していた小栗風葉金色夜叉 終篇」を希望通りの値段で拾えた。やはりこのくらいの値段だと嬉しい。これには宮さんの口絵が入っているが、そういえば、溝口白羊「金色夜叉の歌」(岡村書店)の口絵に、宮さんのモデルになった女性の写真をそのまま絵にしたという口絵が入っていた。なんかその由来が書いてあったが、いわゆる文学関係のモデル問題というのが喧しく、大きく取り上げられたのはこれが最初なのだろう。今回買った重版は、表紙のクロスの色がライトグレーに近いうす水色というか、ちょっと水色がかったライトグレーというか、そういう色なのだが、初版は緑だったのだろうか。というのも、以前、誰かの「金色夜叉」論読んでいて、終篇は、紅葉全集と同じ装幀で、風葉名義ではあるが、書架に並べると紅葉全集と装幀に連続性がある云々みたいなことが指摘されていたのだが、紅葉全集って、あのよく見かける、暗めの黄緑のようなクロス装のあの本だよねえ。それともあの全集も重版によって色が違うのか。まあそんなことはどうでもよいのだが。
まあ、あとは、あと一ヶ月早く出ていればこないだの二千円のなど注文しなかったのに、の、「西国立志編」を見つけてしまう。ちょっとボロイが、買ってしまうのは何故。しかしキューセイで片山廣子「燈火節」元版カバ背シミ5000円だったが、他の店の棚ではこないだ出た筒凾入りの新しいのが5000円していた。ウウム……どうなんだろう。でも後者はこれでも定価より安いんだよなあ。でまあ、最終的に購入したのは以下。

小栗風葉金色夜叉 終篇」(新潮社)明治45年5月12日17版凾欠美400円
中村正直訳「西国立志編」(求光閣)明治36年4月1日5版背痛汚800円
それから文庫本。
戸板康二「ちょっといい話」
    「新ちょっといい話」
    「新々ちょっといい話」(文春文庫)各100円
この金欠統制令下、二千円は使いたくなかったので、上記の「麒麟」は手放し。というのも新刊の文庫本を買いたかったからで。

西村賢太「どうで死ぬ身の一踊り」(講談社文庫)
矢川澄子「兎とよばれた女」(ちくま文庫
こんなものを、古書会館を出たあとに東京堂へ行って購入。特に前者。今どきのド私小説、ということで、前々から文庫化を望んでいたものだ。

どうで死ぬ身の一踊り (講談社文庫)

どうで死ぬ身の一踊り (講談社文庫)

で、一服してから、雨もほぼやんだので、今度は恵比寿に向かう。恵比寿の写真美術館にて現在開催中の「甦る中山岩太 モダニズムの光と影」をみるためだ。

今日は金曜日。ここは、木曜と金曜はちょっと遅くまで開いており、20時閉館なのである。だがギリギリ、最終入場の19時30分に間に合う。すでに中山岩太の写真は各種本も出てはいたが、ちょっと今回の図録を期待していた。今回、初めて見るような作品もあって、雨、閉館前とう要素もあり、ゆったり作品を堪能出来た。それはよいのだが、図録は、瀟洒な感じの、ハッキリ言うと別に買わなくてよいかなという内容のものであった。作品自体は他の本でも見られるし。追い出されるようにして20時過ぎ、写真美術館を出ると、雨は小ぶりだがまた降ってきた。