漁書日誌 3.0

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マリーの伝説

今日は新刊書を一冊購入。

オーラの素顔 美輪明宏のいきかた

オーラの素顔 美輪明宏のいきかた

評伝である。
どうも伝説ばかりが目に付くような感じだなあという気はしていたので、これは広告を見てすぐに欲しいと思っていた。実は、この本の元になる連載が「月刊現代」に出たときに、少し読んではいた。三島のユッキーとかかわる箇所とか、赤木圭一郎とつき合っていたとかいう箇所である。
ということなので、今回単行本を購入して、お、これは初耳、と思ったのは、寺山に関することであった。

寺山の演劇実験室◎天井桟敷の「毛皮のマリー」だが、これの公演ポスターはよく知られているように宇野亜喜良シルクスクリーンであるが、そもそもは横尾忠則が宣伝美術&美術であった(あんまり見かけないが、横尾による未使用の「毛皮のマリー」ポスターは、寺山の「さあさあお立ち会い」に掲載されている)。横尾の作った舞台装置が大きすぎて劇場(新宿アートシアター)入口から入らず、寺山が切断して搬入と指示出したところ、横尾と喧嘩になり、横尾がやめてしまった、というのは、寺山関係の評伝などでよく知られていることではある。
が、この本にある九條映子の証言だと、それで装置どうしようと困って、丸山明宏が自宅から自分の家具などを提供、無事幕が開いた、という(p245)。これは知らなかった。
この「毛皮のマリー」という芝居、そもそもがアーサー・コーピットの、当時未邦訳だった「お母さんお母さん、お母さんは父さんを洋服ダンスの中に吊り下げているのだものね、僕はとっても悲しいよ」だったっけか、うろ覚えで不正確だけれども、確かそんなような変な長いタイトルの戯曲にかなり類似している。
しかも、「毛皮のマリー」は、初出(「映画評論」)と初刊とテクストが異なっているのである。それもラストの結末が全く変わってしまうような大きな変更。これにあたっては、どうも稽古中の丸山が、かなり戯曲の内容にあれこれと注文を出した結果だったようだ、という研究論文を読んだことがある。横尾も確か東由多加と喧嘩したと書いていなかったか。
へえ、と、思ったものだ。
この論文は、大学紀要ではなく論文集の単行本に入ってるもの。しかもこの論文ではコーピットのこの戯曲は未だ邦訳出ていないとなっていたが、国書刊行会から出ている「ゴシック劇」だか何かのアンソロジーにちゃんと入っていて(無論、論文が出る何年も前に刊行)、私は読んでいる。
しかしまあ、この論文は面白いなあ、と、自分でも「天井桟敷新聞」を細かくチェックしてみたら、コーピットの名前がちゃんと出てくる記事を発見した。まあねえ。「毛皮のマリー」はアメリカでも公演しているけど、向こうでは何もいわれなかったのかしら。

で、話はそれたが、霊関係のことも含めて全部を俯瞰的にみるのはなかなか難しいのだろうなあ、という印象を持った。取り敢えず、60年代の映画演劇関連をもうちょっと深くほりこんでもらいたかったというのが個人的な希望。
三島が新宿文化での「毛皮のマリー」を毎日見に来た、とか、本書の文脈だと、丸山をみるためだけに、という風に読めるが、実は地上のアートシアターで天井桟敷が公演が終わった翌日から、地下の蠍座では三島の「三原色」を公演していたのだから、そりゃあねえ、ということもいえなくはない(しかも「毛皮のマリー」と「三原色」を地上と地下で同時公演って、これも今から見るとなかなかスゴイ組み合わせだ。といっても、ジュネの「囚人たち」とかルロイ・ジョーンズ「トイレット」とかもここでやってるので当時としては違和感なかったのだろうけど)、ここらへんだけを突っ込んで調査した本が出たらすぐに買うだろうなあ、などと思った次第。でもそれは、研究者の仕事か。